失うものなんて何もない

歪な羽根が折れる

掌が未だ感触を覚えている。 の肌、骨。そして涙。 近くにいたはずの彼女に触れたのは初めてで、頭の中では只の女だと理解っていたはずだ。 それなのに、どうして心揺さぶる。弱りきった時にだけ女の部分を露見し 男に甘えるだけの女だと重々理解っていたつもりだ。 そうやってあいつは、あの という女は生きてきた。 喰われるくらいならば喰ってやろうと思っただけなのに。 泣く女を犯った事は過去に数度、見せしめの為に嫌がる女を犯った事もある。 特に気はなかったが相手から誘われ犯った事は幾度となく。 をその列に並べようと思っただけだ。 そうすれば過去の女同様、顔も思い出さない存在に成り下がる。 彼女もそれを望んでいたはずだ。泣こうが喚こうが構いはしなかったのに。 骨ばった掌を翳し見つめる。この手がつい先刻まで の身を弄っていた。肌を。

「…バカじゃねぇのか」

それは誰が。泣く を見下ろした瞬間、不思議と気も萎えた。怒りも欲望も全てがだ。 俺はこんな事をしたいんじゃないんだと、だけど 、そりゃあお前も同じだろ。 部屋を出て行く寸前に が叫んだ言葉。悪いのは自分だ。 そんな事は百も承知なわけだ。只、得も知れぬ罪悪感に苛まれたマルコは踵を返す事無く部屋を後にした。 全て見透かした上で何故間違う。 ( のいつも、なんて知りはしないが)堂々とこちらを迎え入れれば全ては終わったのに。 そんな道理は決してないが、まるで処女のように怯えこちらを見た目。 あの時、全てに気づいてしまった。 の浅はかさや自身の抗えない感情に。

「…酷ぇ女だよぃ、お前は」

まるで自分が酷く悪人に思えるから余計にだ。客観的に見れば、どちらに非があるかは一目瞭然。 それなのに責める気になれないでいた。


夜の間に船を飛び出した。逃げるように。 夜間の見張りは一瞥をくれたが何も言わず、何となく皆分かっているのだろう。 けれど触れない。人事でもあるし、何より個人的な問題だからだ。 マルコに許されない仕打ちをしてしまった。彼はどう感じただろうか。 繰り返し抱いてきた罪悪感が臨界点を突破してしまったようで余りに息苦しく、 あの場所にいる事が出来なかった。ずっと変わらず動機は激しいままで 酒と煙草に焼かれた胸が酷く苦しい。過呼吸に似ていると思った。 頭は強く痛み眩暈さえ併発する。いっそ死んでしまいたいと思う。 いや、ずっと思っていたはずだ。もう死んでしまいたいと。 こんなに無様な生き方を認める事も出来ず、なす術も見つからず、 手当たり次第に助けを求めそれでも死んでしまいたいと思っていた。 ああ、だからか。ふと真理に近づく。だから身近な、それこそ大切な人達から傷つけているのか。 未練がないように。愛した人が死んでしまう苦しさに耐え切れず、結局はそれに負けた。 この世界はそういう世界だ。愛した人は皆死んだ。力及ばずに。 何と刹那な世界なんだと最初に思ったはずなのに、ならば何故愛した―――――殺したかったんだろう?

「やめて!!」

―――――手前は殺したかったのさ、 。だから愛した。そうだろう? まるで死神みてぇなモンなのさ、手前は。なぁ、どうしてそうなるか教えてやろうか。 手前の力が強すぎてそうなるんだよ。手前は力があり過ぎるから死なねぇのさ。 だから、ずっと。これから先もずっと置いて行かれる。気の毒にな、 。 何もかも嫌になったら俺の所に来な。だって、なぁ? ずうっと独りは淋しいだろう?かわいそうに、かわいそうに、

「や、め」

弱った時を狙い必ずフラッシュバックは襲ってくる。あの男の声、言葉。 これまで一語一句忘れた事がない。忘れきれた例がない。 あの男の言葉を消したくて、あの男の言葉を信じたくない一心で愛してきたというのに。 まるで予言のように言葉が現実となっていく様ばかりを見ていた。 随分昔に が愛した男を殺したあの男の言葉。

「―――――ドフラミンゴ」

あの時は辛うじて痛み分けに持っていった。 互いに傷を負った状態で吐き出された言葉が未だ絡みつき離れない。 後に知ったが、ドフラミンゴの目的は自分だった。 仲間に引き入れる為にこちらを仲間を全て殺したらしい。今となってはよくある話だと思う。 だから強い相手を求めた。愛しても死なない相手を。まずは、ドフラミンゴに殺されない相手を。


蛻の殻になった部屋を見渡し一人溜息を吐き出したマルコは、 の寝ていたベッドに腰掛ける。 シーツを指先で弄るが、すっかり冷えてしまっていた。逃げ出してどうするというのか。 もう、逃げる場所なんてないはずなのに。しっかり抱きとめれば は留まるだろうか、自分の元に。 こちらとしては腹は決まったつもりだったのに。まだ の口からサッチの話を聞いてもいない。 哀しかったり悔しかったり、そういった類の話を聞いた事もない。

「何をしてやがんだよぃ…」

一人で。一人が嫌だとあれほど悲しんでいた彼女の背を思い出し、 お前はとっくに一人なんかじゃないと笑い飛ばした過去を掘り返す。 とんだ淋しがりやの彼女に会いに出かけよう。


2009/12/19(困った時のドフラミンゴ…。続きます…)
模倣坂心中 /pict by水没少女