猩々蜻蛉の行方

もう終わりなのよと呟いたは伏目がちに一度だけ視線を寄越した。 まったく、それなのにすっかり浮かれきっていた己は 彼女の言葉を真摯に受け止める事さえ出来ず、どうせ口だけだろうと高を括っていた。 新世界に入りある程度の時間が経過した辺りだ。自身の勢いに任せ口説き落とした女だった。 浴びるほど酒を飲み、先も見えない状態なのに生き急ぎ、 傷つけられる事が多かったものだから、誰かを傷つけても気づかなかった。 決してそれが悪い事だと認識さえ出来ず、心なんてそんなものだと思っていたのだ。 口先ばかりで気持ちのいい言葉を囁き、都合のいい時ばかりを求めた。 彼女もそれに気づいてはいたのだろう。途中から別れの言葉ばかりを切り出し始め、 その都度何となくその場しのぎにを抱き、 全てをうやむやにしていれば動きはないだろうと踏んでいた。 まあ、その度にの心とやらは酷く衰弱していたらしい。 エースの見えない所でだ。そうして向かえた局面。 ごめんなさいと呟いたの背が酷く透けていたものだから、思わず立ち上がった。 の肩が少しだけ震えていた。行くなと呟き彼女を引き寄せれば力なく胸を押される。 身勝手な真似だと知っていて、それでも離す事だけは出来ず強く抱き締める。 俺を一人にしないでくれとの耳側で囁けば、彼女は身動きが出来なくなると知っていた。 情に深い女だから。

「もう、無理なのよ。無理なの、エース」
「俺はお前が必要なんだ、
「エース」

あたしを解放して頂戴。泣きながら、まるで悲鳴のように吐き出された言葉。 ここまできて、ようやく彼女がそこまで追い詰められていたのかと知り、 それでも悪いとは少しも思えず、俺を一人にするなと嘆く。 あたしといても、あんたはいつだって一人だったじゃない。 少なくともあたしは一度だって二人だと思った事はなかった。 彼女の嘆きを耳にしていれば酷く他人事に聞こえ、結局自分の事しか考えていないのだと知る。 自分にとって気持ちのいい存在、都合のいい存在を欲していただけなのか。 愛していたのか。分からないという事は淋しい事なのか。

「あたしには出来なかった」

あんたを救う事は出来なかった。 心さえ閉ざし厚い殻の中に感情を閉じ込めた男を目の前になす術もない。 それでもこの男は助けなど求めてはいないと嘘を吐き、求めているのはお前だと囁く。


2010/1/1(暗いにも程がある。白ひげ以前のエース)
模倣坂心中