獣になりたい

悪魔の常套手段

マルコの元から逃げ出し、二月ばかり放浪を続けた。 一定の場所に留まれば誰かに見つかりそうで恐ろしく、 歩みを止めれば呼吸さえも止まりそうで行く当てもないのに進み続ける。 行く先々で懸賞金を狙われ、そんな輩相手に糧を得る暮らしは酷く懐かしかった。 それでもあの頃とは目的が違う。 あの頃はそんな現状を認めきれずどうにか打破しようともがいていたが、 今は半ば認めた状態で逃げているのだ。だから苦しいと知っていた。 突如姿を現した の噂は光よりも速く駆け巡り、連日様々なメディアを騒がす。 そんな生活をしていれば知られる。そこに気づく事は出来なかった。その日も は糧を得、小さな町にある古い木賃宿に足を運んだ。血の臭いを隠さない を一目見た店主はすぐに視線を新聞紙に移し、無言のまま鍵を投げる。 彼の手にある新聞紙には恐らく の事件が載っているが、一々海軍にチクリと入れていれば商売上がったりだ。 だから沈黙を選んだ。疲れきった身体を引き摺り部屋へ向かう。薄暗い廊下は雨漏りが酷く、 どこからか女の悲鳴が聞こえていた。鍵を開け中に入ると黴臭い臭いが溢れ出、思わず窓を開ける。

「…よぉ、
「…」
「お前にゃ、こんな部屋は似合わねぇぜ」

無論、この俺にもだ。部屋には先客がいた。土足でベッドに寝転んだその男は丁度、 の背後にいる。何故。

「何をしてるのよ、ドフラミンゴ」
「おいおい、久方振りの再会だってのに、そいつはつれねぇ言い方じゃねぇか」
「あんたとあたしは知り合いだったかしら」
「変わらねぇな」

お前はまったく、ちっとも変わらねぇ。ドフラミンゴは嬉しそうにそう言い、起き上がった。 はまだそちらを見ていない。開け放たれた窓から、外ばかり見ている。 元々人口の少ない町だ。こんな時刻、そうして のような輩の噂が流れ出した頃から人々の姿は消えてしまった。寂しい町だ。

「納得したって面だな」
「…何が」
「何もかもが嫌になったって面だ」

ドフラミンゴが立った。まだそちらは向かない。少しだけ考える。止める。 足音がゆっくりと近づき、 を背後から抱き締めた。身動き一つしない の眼は暗闇ばかりを映している。ドフラミンゴが耳側で囁いた。俺と一緒に来な、 。俺は手前を独りにはしねぇぜ。

「…」

この男の言う事は確かなのだろう。ドフラミンゴと一緒にいれば独りになる事はない。 暗闇ばかりを見つめていれば思い出したくない類の過去ばかりが蘇る。 死人の顔が―――――思わず目を閉じれば背後でドフラミンゴが笑ったような気が、した。


結局 に会えず、もうじき三月が経過する。あの日、すぐさま を捜しに出はしたものの見つける事が出来ず、そうこうしていれば突如紙面に大きく の名が載った。驚く暇もねぇと呟けば次に賞金額が上がる。 何をしてやがるんだと腹が立ち、タバコの本数が増えた。マルコの手元には の事件を扱った紙面が数ばかりを増やす。元々あの女には目的がないのだ。 だから死体ばかりが積み重なる。無理に連れ戻した所で変わらないと分かってはいるが、 一人にしてはおけない。逃げ出した女なのに。一度足を踏み外せば、それこそ楽に転がり落ちる。 まあ、これまでが崖の淵に小指一本でぶら下がっていたような女なのだから、驚く事はないか。 しかし、今になって思う。 は試したのだ。失ってもいいものか、そうではないのか。 それでも失うとどうなるかを考える事が出来なかったから、こうなった。 本当にお前は大馬鹿野郎だよぃ、 。奇跡的に(どうにも賞金稼ぎの中に、写真機を持ったヤツがいたらしい) 残された戦闘真っ最中の写真には の顔が映っていた。何かに怯えたような、今にも泣き出しそうな怯えた顔。 それを見て以来、夢の中にその顔ばかりが出てくるものだから、マルコは居た堪れなくなり、 毎夜目を覚ます。


今、目前には半裸のドフラミンゴがいる。頭がぼんやりとして現実を余り認識出来ていないのだが、 どうやら半裸でいるらしい。これから何をするのかといえば恐らくそれはセックスであり、 何故するのか。それを問われれば分からないと返す。いいや、 これまでのセックスに理由があったかと嗤うか。 恐らくドフラミンゴ自身もそうやりたいわけではない。只、何となくだ。 確かめ合う間柄でもないし、慰めあう間柄でもない。それにそんな真似は似合わない。 どちらかといえば遊びの延長にセックスが付属する、それがドフラミンゴという男だ。 ならば何故―――――少しだけ考え、笑う。心の隙に入り込もうとしているのかと気づき、笑う。

「何、笑ってやがる」
「…気にしないで」
「嫌な笑い方だぜ、そいつは」

胸の上に置かれた大きな掌に重みが増した。ドフラミンゴの舌が首筋を舐める。 この男は首から、あの男は胸から。あの時の男は何もせずに挿入を―――――

「…手前」
「笑えて笑えて、仕様がないわ」
「気が違えてるところも、ちっとも変わっちゃいねぇ」
「ほめ言葉を、ありがとう」

の恐ろしさは気配を感じさせない所にある。 相手に斬りかかる時にも気づいたら刃が身を貫いているという感覚に近い。 中身の脆さがそうさせているのかと思っていたが、元もとの性質なのだと気づく。 薄皮の切れたドフラミンゴの腹からじんわりと血が滲み、この部屋にようやく正気が戻った。 起き上がろうとする を押さえ込み、腕を掴んだ。これだ。ドフラミンゴは思う。 これが、この生かされる感覚が俺の欲しかったものだぜ。 「あんたには感謝してるわ、ドフラミンゴ」 「どうしやがった、 」 「あたしの全部を奪ってくれて」 まるで死ぬ前みてぇじゃねぇか。互いがギリギリの部分で生きているこの感覚、 一歩間違えば死ぬ、そんな時の選択。セックスさえもその選択に入れる。 いや、違う。この女がそうさせる。腕を拘束された はドフラミンゴをじっと見つめていた。


2010/1/26(むしろドフラミンゴ冷や汗、みたいな)
模倣坂心中 /pict by水没少女