悲しみを つれていこう

ミズ、これが愛の摂理です

片手にナイフを握ったままドフラミンゴに跨がった は、微かに笑みを残したまま彼を見下ろしていた。 暫しの沈黙が訪れ互いの呼吸音だけが静かに木霊する。 の唇が微かに開き、届かない声で何事かを呟いた。

「――――― !!」
「!」

ドフラミンゴの長い腕に刃が食い込んだ瞬間だ。この男はまず、腕を捨てた。 まるでそんなものには興味がないと言わんばかりに呆気なくだ。 彼女の細い首に長い指が絡まり、そのまま体勢を逆転させた。 スプリングが軋み、ギシリと鈍い音を立てる。

「痛くないの?」
「フフ」
「それとも、気持ちよかったの、あんた」
「手前の心ほど、痛みやしねぇな」
「……何?」
「手前、ポートガスを助ける事が出来るだなんて思っちゃいねぇか」
「……」
「フ。図星か。目出度ぇヤツだ」

ドフラミンゴの舌が目尻から頬を舐める。

「確かに手前は強ぇ、それはこの俺も認めてる。けどな、それだけなんだよ。 手前の強さは周りを傷付ける、手前自身でさえ傷付ける。何一つ守れやしねぇ。 力だけが暴走して、仕舞いにゃ結局手前一人しか残らねぇのさ」
「違う」
「いいや違わねぇ。現に今、手前の周りにゃ誰がいる?誰が残ってる?誰もいやしねぇじゃねぇか。 手前でも分かってるんだろう、なぁ、 。だから手前は白ひげの所にも居付かず、一人でいるんだ。 無意識にでも分かっちまったんだろうよ、奴等がどれほど大事で、手前がどれだけ危ういかって事にな。 それなのに、奴等に助けを求めたくて、ジレンマか?」

そんな詰まらねェもんにとりつかれて。ドフラミンゴの指に力がこもり、細い首が微かに軋んだ。 高揚しているドフラミンゴの顔を目の当たりにする事はそうない。余り心が動かない男だからだ。 しかし、それがどうだ。ドフラミンゴの腕に刺さったままのナイフから指を離し、 そのまま腕から力を抜けば興奮した男の顔越しに天井が見える。 目玉に圧がかかり、途端呼吸が苦しくなる。耐え切れなくなり目を閉じれば、 もう天井を見る事もなく、己の首に巻きついたドフラミンゴの指に爪を立てた。食い込むほど強く。

「手前の周りにゃ死人しかいやしねェ」
「…!!」
「いい加減、夢から醒めな、 。もうじきポートガスの処刑が決行される。お前の大事な奴等も黙っちゃいねェだろうよ。 受け入れきれねェ現実から逃げるのは勝手だがな、この動乱の現世から目を背けるんじゃねェ。 手前が一人になる現実を、手前一人だけが生き残る事実だけを、 その詰まらねェ両の目でしっかりと見るんだ。そうして思い出しな。 この俺の言葉を。<まるで死神みてぇなモンなのさ、手前は>」

抗う気力もなくなった は奪われる呼吸や意識をそのままに、辛うじて残るドフラミンゴの声を聞いていた。




冷え切った室内には だけ取り残されている。うっ血した首には細く長い指の痕が色濃く残り、 苦し紛れに切れた毛細血管が頭部に鈍い痛みを齎していた。 シーツがかけられたままの身体は指先まで冷え切っており、 あの男が姿を消し、随分な時間が経過したのだろうと予測する。 呼吸がし辛く急に咳き込めば血を吐き、シーツを汚した。 ゆっくりと身を起こせば腹部辺りからドロリと液体が垂れ、 興奮の跡が身体ばかりか寝具まで侵すと思ったが無視する。 やはりドフラミンゴは相当に興奮していたのだ。 この身体を使い、心を犯し高揚を極限まで高まらせた。

「…」

起き上がり、裸のまま考える。あの男の発した言葉、そうして大事なもの。 エースの処刑が施行されると確かにドフラミンゴは言っていた。 まあ、海軍に捕らえられたのだから、それは至極当然の流れだと思えた。 それならば大事な彼らは迷う事無く戦いを挑むだろう。何を意味するのか。 白ひげ、サッチ、エース。そうしてマルコ―――――又、後悔を繰り返すのか。 同じような思いを引き摺り生きていくのか。口内に広がった血の味を吐き出すように咳き込んだ。 身体がより一層冷えた。身体を使い、何かしらの足りないものを求め、 それでも得る事は出来ずここまで堕ちた。ドフラミンゴの目から見ても逃げているわけだ。 そうしてあの男に現実を目の当たりにしろと、そんな事を言われた自身が酷く情けなく、 逃亡の結末は虚しさを得るだけだったと知る。徐に立ち上がれば強い立ち眩みが襲い、 幾度か床に座り込むが這うようにシャワーへ向かった。震える指で蛇口を回し、 熱い湯を全身に浴びる。身体がようやく温まりかければ抑え切れない嗚咽が零れだし、一人、泣いた。




恐ろしい子供だと呼ばれた事がある。お前は恐ろしい子だと に対し吐き捨てたのは実母であり、幼い にはその言葉にどんな意味が隠されているのかは分からなかったが、 愛されていないのだろう、その位は容易に理解出来た。後に知った事実は、 自身が望まれた子供ではなかったというものだ。 母親は見知らぬ町で見知らぬ男に犯され、 を孕んだ。暴行の衝撃に暫しの間正気を失っていた母親は、 生存本能のみに突き動かされ堕胎を拒否。少しばかり裕福だった両親達は、 我が娘の現状を世間に知られたくなく、彼女を屋敷に閉じ込めた。 が生まれた際、ついでに正気へと戻った母親は本能を拒否し、現実から完璧に目を背けた。 には父親の血が色濃く受け継がれており、母親は全てを拒否した。 存在自体を拒否したものだから、 の世話は屋敷の使用人達の仕事となり、彼らも を持て余した。余計な仕事を増やすなというところだろう。 母親の両親は兎に角外へ知れないようにと、その一点にだけ心血を注いだ。 そんな生活を送っていた が悪魔の実を食べたのは、まったくの悪意からだった。 馴染みの業者が遠方からの帰り、珍しいものを持って来たと母親に告げた時に悪意は回り始めており、 それを高値で買い取った母親は、何も告げず に食べさせた。生まれて初めて母親が、 の名を呼び、 の手を取り、 に与えた施しが悪魔の実だったわけだ。そうして前述の一言。 唯一の救いは、母親が何の実かを知らなかった事だろう。 それまで興味のない、まるで石ころでも見るような眼差しで を見ていた母親の眼差しは、その日以降、恐れを抱いた眼差しに変化した。

「…遅ェよぃ」
「明日、行くんでしょう」
「お前も、来るかよぃ」
「行くわ」
「そいつは」

珍しいな。似たような会話を以前もした事があると思いながら、口には出さない。 憑き物が取れたような の気配は妙に沈んでおり、本当にあの なのかと振り返り確認する。あの写真の とは又違う。お前、この数ヶ月の間に一体何があった。

「…どうしたぃ。その、首」
「何?」
「どこの男に絞められたんだよぃ」
「…覚えてないわ」
「そりゃあ」

妬けるなと呟いたマルコは暗く沈んだ海原を見つめている。大きな戦いの前にはいつだってそうだ。 ようやくこの場に戻って来た は、同じように白ひげへ挨拶へ行き、参加の意思を伝えた。 白ひげは少しの間考え、分かったと呟いた。その足でマルコの元へ向かい、現状だ。 大事なものが一つ、二つ。音をたてて消えていく。きっと、マルコもそう思っている。

「今回は、断らないのね。あたしが行くって言っても」
「もう、誰もいやしねェからな」
「…」
「俺しかいねェだろぃ」

お前を死なせたくねェのは俺しかいねェ。マルコの言葉に言葉一つ返せず、それはこちらも同じだと、心の中でだけ呟いた。


2010/3/18(ここで、一旦休止に入りますよ)
模倣坂心中 /pict by水没少女