必要なものはもう持っているんだ
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友よ、過去は今でも疼いているか
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船内は異常なほど静けさに満ち満ちていた。
戦いの前の高揚感は微塵もなく、緊張感に包まれたまま時間ばかりをやり過ごしているようだ。
だからも黙ったまま一点を見つめている。
眠る事は出来ず、一応身を横たえてはみたものの、
目を閉じれば考えなくてもいいような事ばかりが浮かび上がる為、心が少しも落ち着かないのだ。
今、心を乱すわけにはいかない。元々、只でさえ感情に揺さぶられる確率が高いのだ。
今回ばかりはミスを犯すわけにはいかない。腕を伸ばし、掌をぐっと広げる。指先が震えていた。
「…」
海軍と直接やり合うのは実は初めての事であり、だから指先が震えているのかと思った。
まず最初に海軍からの懸賞金がかかったのは十代も終わりの頃だったと思う。
既に生家を出ていたは見ず知らずの罪で追われる事となり、
安住の住処だと思っていた街を追われた。
確かにその日は昼間から客層がおかしくもあったし、街中に海軍が屯していたわけで、
何事かが起こったのかと思っていた所にだ。眠っていれば気配を感じ、ゆっくりと身を起こす。
微かな気配さえ敏感に察知してしまうのはあの生家の仕業だ。
悪魔の実を食べた後のを母親は恐れ、ことある毎に姑息なやり方で命を奪おうと企み、
毒を盛ったり、だとかわざわざ大金を賭け人を雇ったりだ。
得てしてにとっての平穏な生活はなくなり、水面下で地味に争う日々のスタートとなった。
最初こそ酷く驚きはしたものの、皆の眼差しを受けていれば特に疑問を抱くような事ではないと気づいた。
恐れているのだ。だから、目の前から消してしまいたいのだ。
勝手に侵入してくる素性の知れない輩も、の力を目の当たりにした瞬間、
同じような眼差しになる。すぐになれた。
「…」
「!」
「入るよぃ」
それなのにマルコが近づく気配にはちっとも気づけず、
身体が一瞬強張った。身を起こしながら髪を整える。
「どうしたの」
「いや、別に。用はねぇが」
マルコの姿を目にした瞬間、何故だか涙が込み上げ顔を背ける。
自分で理由を言えない涙なんて流したくはなく、そんなものをマルコに見せるわけにもいかない。
今はこっちを見ないでとようやく呟けば、ドアを閉めたマルコが小さな声で分かったと返した。
が泣いている事には気づいていた。だから気づかない振りをして、手持ち無沙汰に室内をうろつく。
あの時と同じ部屋だ。彼女はその事に気づいているのだろうか。
涙の理由を考えたが、本人以外が考えても同じだろうと思い秘めた。
この部屋は明かりが消えてしまっている。がつけていない為、まあこちらが勝手につける事も出来ない。
うろついている内に壁沿いに置かれた小さな皿とその上に乗った溶けたキャンドルを見つける。
埃を被っている所を見れば、随分前に使われたのだろう。
まだは泣いているから、もう少し辺りを詮索する事にした。
目線より上にある小さな戸棚を見つけ、それを開く。
古ぼけた箱の中にキャンドルが数本残っていた。取り出す。火をつけた。室内が暖色に包まれる。
「…怖ぇのかよぃ」
「…」
「お前にも怖ぇもんがあるのか」
「あるわ」
一つ、二つ。空いている皿に火をつける。淡い香りが漂い始めた。
の事を只『危うい』女だと思っていた。
『危うい』から道理のいかない行動を取るし、『危うい』から力を持つのだと、
そうして惹かれるのだと思っていた。
怖いものなど何もないのかと。だから人を傷つけるのかと。
「…懐かしいわね」
「?」
「このキャンドル。サッチが買ってきたのよ」
「!」
「まだあったのね」
顔を上げたがキャンドルに視線を送る。次にマルコへ移した。
「ここ数年、俺ァお前の笑った顔を一度も見てねぇ気がするよぃ」
「…」
「お前はずっと、怖がってたんだな」
「…」
「サッチが死んで、それからずっと」
笑えるわけもねぇと呟けば、が顔を背けた。
淡い光に照らされた彼女の肩は余りに細く、これがなのかと見間違うほどだ。
いや、違う。この背は以前にも見た事がある。忘れていただけだ。
サッチの死を耳にした時の彼女の背。
悲しみを受け止めてやる事が出来なかったあの時の背と同じだ。
「もうどこにも行くなよぃ、。ここにいろ」
「何よ、突然」
「どこにいたって何も変わりゃしなかっただろうが。もう逃げるのはやめて、ここにいろぃ」
「…」
「俺達の側から離れるな、もう。そうすりゃ何も怖くはねぇよぃ」
「…そうね」
こんな人生が一体何になると思いながら生きてきた。
産みの母から疎まれ、父親の素性は分からない。
幼い頃から命を奪い続け、見ず知らずの内に懸賞金が賭けられた。
愛した男は悉く命を失い、求めるものは皆姿を消す。こんな、こんな人生が一体何になる。
「明日になりゃあ、怖いだなんて言ってられなくなる」
「…」
「だから、一緒に行くんだよぃ」
「マルコ」
「俺は、死なねぇよぃ」
ジリジリと炎が蝋を溶かす音が響く室内は湿っている。
彼女を守りたいと思うのは欺瞞なのだろうか。
『危うい』ほど強い彼女を守りたいと願うのは。手を伸ばそうとして、一度躊躇する。
この部屋ではどうかと躊躇する。も同じだ。
馬鹿みたいに様子を伺い、戸惑い、これは間違いでないと自分に言い聞かせる。
まったく不純な動機ではないと。と目が合った。
臆病な眼差しをしているのはきっとだけではない。
互いに様子を伺いながら手を伸ばし、指先を掴み手を合わせる。
ゆっくりと恐る恐る抱き締めあった。
今だけは何にも怯えないで、恐れなんて捨てて。明日の為に平穏な眠りを受けて。
2010/5/8(一旦休止はまだ解除ならず)
模倣坂心中
/pict by水没少女 |
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