甘い海で 沈めて…

世紀の恋の残滓

「なあ、
「何」
「本当に悪ぃ、俺ァそんなつもりじゃ」
「いいのよ、別に」



あたしは気にしてないから。そう言い室内を見渡す。目前で気まずそうに頭をかくエースを横目に、この一晩のしくじった理由を探した。

今この敷地内で生存しているのは恐らくこのエースとしかいなくて、それも恐らくはエースの仕業だ。この状態が許されるのも夜が明けるまでの短い間になる。それまでにどうにかしなければならない。養父は嫌な男だった。

海軍の大佐として名を馳せ、その妻はこの島に大きな屋敷と身寄りのない子供を宛がわれた。公に分かりやすい慈善事業を大っぴらに行う為にだ。も引き取られた子供の一人だった。

義母はこの慈善事業に一切の興味がなく、引き取られた子供達は雇われたシッターにより厳しく躾けられた。贅沢を尽くし遊び回る義母は殆ど屋敷にいなかった為、子供たちは懐きもせず恐れる事もなかった。

子供たちが恐れたのは義父だ。彼は常に厳しく恐ろしかった。集められた子供たちの中から適性のある子だけを選び英才教育を施す。進路は有無をいわさず海軍一択だった。



「いやー…お前の親父さんだって知ってりゃ」
「知ってたでしょ」
「や、まぁそうなんだけどよ」
「いいのよ、血は繋がってないし」



海軍養成学校に入学しそのままエリートコースを進んだ。養父という肩書の効果は絶大なるものでどこへ行っても特別な生徒だと認識された。学校を卒業しすぐに配属になったのは養父直属の部隊であり、やはりこの身に自由は一切ないのだと知った。

そんな中、出会ったのがスモーカーだ。彼はの教育係としてわざわざ遠方から呼び寄せられた。養父の事はいつまで経っても好きになれなかったが、その反動の様に容易くスモーカーへ心奪われた。彼は教育係として以上の感情を持たないよう心掛けていたらしく、中々思うように事は進まなかった。

そんなに対し先手を打ったのは養父であり、スモーカーは急に入った特別任務の為に半年程離れる事になる。その僅かな間に、エースは近寄って来た。



「こうなる事は分かってたのよ」
「…そうかい?」
「分かってて、あんたの誘いに乗ったの」



スモーカーから引き離された腹いせもあった。この男が存在する限り私の思うような人生は送る事が出来ないと思っていたし、その事に飽き飽きしていた。エースが海賊だという事は知っていたし、酷く軽薄な男だとも思っていた。

スモーカーと離れ分かりやすく荒んだは港近くの酒場に出入りするようになり、そこでエースは声をかけて来た。こちらがショットグラスを空けるのを少し離れたところからジッと見つめてくるような男だった。

この島での出来事はすぐに養父の耳に入る。酒場でエースと懇意にしていた事を知った養父は烈火の如く怒り、を部屋に閉じ込めた。その間にエースを始末する算段だったのだろう。

だが結果はこれだ。養父を初め屋敷内にいた全ての人間がエースにより殺された。



「俺も、お前が俺を選べばいいと思ってた」
「…」
「あいつからお前を奪えりゃ、他はどうでもよかったんでね」
「あんた、あの人の事、知ってるの」
「腐れ縁てヤツさ」
「あんたもあたしも、あの人に心奪われて」



バカな真似しちゃったわね、とは笑った。海軍を裏切るんなら丁度いい、俺の所に来いよ。親父にも紹介してェんだ。最早取り返しのつかない真似だ。作られた楽園は壊され二度と戻りはしない。

エースはあの、いつもの笑顔でこちらを見ている。そうして。スモーカーが決して言ってくれなかった『愛している』という言葉をいとも容易く寄越すのだ。



2020/12/21(恋をしている)
模倣坂心中