色が多い人生を特に嫌がったわけではないのだ。
恐らく己で望みこの道を歩んでいる。
まあ少しだけ気取れば美学のようなものだ。
皆が違うと知ったのは随分前の出来事であり何を求めているのか、それは分かっていた。


母親という存在が希薄だったからだ。側にいなかったというべきか。
記憶に余りない。だから人生に女性の姿を求める。
薄々その事実に気づいてはいたものの、
それではまるでマザーコンプレックスにも似ているではないか、そう思い秘めた。
まあないもの強請りなのだろう。


実際幾ら美しかろうと自分の母親と寝ようとは流石のサンジも思えず、
頭の中で確固たる理想を造り上げているだけだと納得した。
母の姿とはどんなものなのだろう。
余りにもおぼろげで、尚且つこの頭が美しさばかりを求めるものだから
既に現実はなくなってしまっている。


「あんた、本当に手当たり次第もいいトコよね」
「人の事、言えんの?
「あたしとあんたは違うわぁ」
「そりゃあ」


求めているものは大差ないのだろう。
言い方、捕らえ方が違ったとしてもそれはどの道手に入らないものだからだ。
まだ金ばかりを求め繰り越していく方が利口なのだろう。
手に取れる、目に見えるものは要らないのだ。
目に見えないからどれだけ手に入れた(恐らく錯覚なのだろうが)としても実感がない。
だからもっと、もっと求める。堂々巡りだ。


何を根拠に皆満足するのだろう。
己が欲は果てなく底なしでサンジはその貪欲さに呆れる。
ロマンチストだと呼べるのだろうか。
現実をここまで知っていて尚求めるというのに。
理想ばかりを見ていられれば他に何も要らないのだろう。
現実は、落胆の極みか。


「一人がそんなに嫌なの?」
「好きじゃねぇよ」
「一人の時間がないって、そっちのが嫌じゃない?」
「自分の事なんて考える暇ないくらいさ、人の事考えてたいんだよ」


そうすりゃ現実なんて、俺の現実なんて見なくてすむだろう。
流石にそこまでは言えずともには知れている。
半端な自己犠牲、人の人生を生きる道化。
の目はそんな男を今も写している。これから先も同じだろう。


「じゃあ、気が済むまであたしの事考えてみたら」
「あぁ」
「とか言って、他に何人の事考えてんのよ」


その紳士、好色につき―


思いがけず凄いの書いてしまった。
そういえばサンジって小さな頃から船上レストランにいたよなあと。
だからってこの結論付けは・・・よくないだろうよ。
2007/5/15