いくらだってもがいてあげるよ



   完全に心が折れてからの時間は確かに楽だった。何も考える気になれず、夏油の勧めるままに妊婦に良いとされるオーガニック食品を食べ、彼の理想論を聞く。

子供が産まれたらやりたい事、性別は最後まで知らないままでいようと思っている事、男女どちらでも通用するような名前を考えているらしい事。通常の夫婦間であれば互いに盛り上がり話すのだろうが、生憎こちらはそんな関係ではない。夏油が一人喜々として話しているだけになる。

妊娠後期ともなれば完全に腹はせり出て、どこからどう見ても妊婦という有様だ。この頃になると逃走が現実的でなくなりの拘束は完全に外された。部屋も夏油と同室に変わり(万が一を恐れた彼は四六時中を側に置く事に決めた)生活水準がグッと高くなる。

朝目覚め朝食を摂り夏油と共に庭を散歩する事が日課となった。腹が重い為ゆっくりと歩くの隣、夏油は延々腹の子に話しかけている。時折双子の女の子がお腹を触っていい?と聞いてくる。夏油の『家族』たちはこぞっての腹を撫で触り子に話しかける。

ここで家族でないのは恐らく私だけだ。腹を括った時から考える事をやめた。ホルモンのせいか脳が上手く回っていない。どうにかなってしまったようだ。腹の中の子は元気に蹴り上げてくる。



「今日は君の為にお菓子を焼いて来たらしい」
「そう」
「持ってくるね!」
「絶対美味しいよ!」



双子がそう言い、夏油を連れお菓子を取りに行っている間、ぼんやりと辺りを見回す。離れたところに夏油周りの女達がいた。彼女たちは常に離れた場所からこちらを見ている。こちらを憎しみの目で見ている。

彼女たちは夏油の子が欲しいのだという。これまでに何人かは実際に産んだらしい。がつわりで死にかけている時に彼女たちは入れ代わり立ち代わり部屋に侵入して来た。拘束されている時だ。そうして耳元で散々とその呪詛を吐く。

彼女達曰く、お前は捕らえられてすぐに排卵誘発剤を打たれたのだと言う。夏油に散々犯され泥の様に眠っている間、まさかそんな真似をされていたとは、こちらは夢にも思わない。まったく記憶にないのは麻酔を打たれていたかららしい。とんでもない話だ。

兎にも角にも、彼女たちは夏油が一人の女に執着する事が耐え切れなかった。この体外受精の案も自ら出したというのだから相当だ。こちらが散々犯されている間に採取された卵子を使い顕微受精を実施、女達はこぞってそれを自らの子宮に招き入れた。

しかし結果は全滅。あのババアの呪いはにだけ効果を発揮する。その間にこちらは妊娠した。誘発剤のおかげで排卵数も増えている。こうして話を聞けば成程といった具合で、心底最悪だと思った。女達は夏油の子を産むを憎んでいる。









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予定日を一週間先に控えたある夜、ズン、と重い痛みに目が覚めた。妊娠後期に入ってからというもの、子が腹を蹴るせいなのか腹自体が重いからなのか夜中に目覚める事が多くなった。それかとも思うが眠りに落ちる寸前に又、ズン、と重い痛みに襲われる。まったく眠れないまま朝を迎えトイレに行き悲鳴を上げた。出血をしていた。

その後すぐに破水し、の悲鳴を聞きつけた夏油は医者を呼び診察を受ける。子宮口が七センチも開いていた。心の準備をする間もなく分娩する事になりベットに寝かされる。自分以外の全てが慌ただしく動き、まったく頭がついていかない。夏油は頻りに大丈夫だ、何も心配する事はないと囁いていたが恐らく本人も相当に焦っていた。

それから五時間ほど経過したのだろうか。等間隔で襲ってくる痛みは感覚を更に短くし、嘘の様に激しくなった。痛みが襲う時には呻いてしまう程に強い。どう息を吐いても逃がす事が出来ず拳を握りしめ耐える。腰がどうにかなってしまいそうだった。

七センチから先、中々子宮口が開かずひたすらに痛みを耐える。パルスオキシメーターをつけられ分娩台に乗ったのは夕方に差し掛かる頃だった。子宮口が10センチ開き、ようやく分娩の開始だ。痛みの中息む。無限に感じた時間だったが、実際には小一時間程度の話だったらしい。顎が痛む程叫び、ようやく頭が出て来た、という声が聞こえた。次に頑張れと励まされる。

叫びながら出し切れば赤子の泣き声が聞こえた。朦朧とした頭で股の間に視線を向ける。赤子を取り上げていたのは夏油だった。羊水塗れの赤子を抱き男は泣いている。



、ご苦労だったね」
「ちょっと」
「この子は任せなさい」



望まない子だ。確かにそれは私が望んだ子ではない。



「どこに連れて行くの」
「家族に見せるのさ」


それでも連れ去られたくなく起こしかけた身体を押さえ付けられた。夏油周りの女だ。最も無防備な状態をこの女達に見られたくない。何をしているのかと思えば、奴らの狙いは胎盤だった。後産で排出される胎盤を喰うのだと言う。そうまでして夏油の子が欲しいのか。そんなものに縋ってまで。

初めて産んだ子を初めて抱いたのはそれから五時間の事で、目覚めた時には又そこに夏油はいた。母性は目覚めたかい、夏油のその問いに答える気にもなれず身を起こす。

夏油が赤子を連れ出て行った後、耐え難い悲しみに襲われた。ホルモンバランスが崩れているからだと分かっていても尚、涙が止まらない。私は一体どこにいってしまったのか。



「さあ、聖なる母の姿を私に見せてくれ」
「授乳しろって事でしょ」
「感動するね」



そういって目頭を押さえる夏油を前に逃げ出したい気持ちがムクムクと蘇った。この子を連れ逃げ出す事は出来るだろうか。出産は想像以上のダメージをこの身に与えており、元の姿に戻るには時間がかかりそうだと思えた。