不確かな夢を見た



  夏油と、こういう関係になったのはいつ頃からだろうか。互いに明言を避けセックスをするようになった。

確かきっかけは高専のみんなで行ったうだる程熱い夏の日のバーベキューだ。秩父方面まで足を延ばしロッジを借りて夏の日の思い出作りをした。買い出し組や調理組、設営組に別れ普段なら顔を合わせる事のない先輩方との交流も兼ねた催しだった。

鬱蒼と茂った山の中という立地の為、自然派生の得体の知れない呪いや川下りをしている人たちを狙った呪霊に遭遇し多少の厄介事を片付けながらも楽しい時間を過ごす。夜になれば皆で花火に興じまさに青春真っ盛りといった体だ。川の水で冷やしたチューハイや缶ビールを片手に散々と肉を喰らい0時過ぎには皆、酔い潰れていた。

そんな中、は一人後片付けをしていた。元々一族全体に酒豪の気があり、幼い頃から毎週執り行われる神事の際に清酒を飲まされ続け多少のアルコールではビクともしない身体になっており、皆がバタバタと潰れて行く中、今回も自分が片付ける羽目になるなと予想はしていた。

花火の残りカスを集め水を張ったバケツに放り込む。私も手伝うよ、と声をかけてきたのは夏油で、そういえば彼もアルコールには滅法強かった。これまでも飲み会の度に潰れた奴の介抱や片づけを二人でやっていた。

みんな中々強くならないね、と笑いながら空き缶を入れたゴミ袋の口を縛る。山中から見える星は余りに多く空全体を覆っていた。



「明日みんな起きるかなぁ」
「悪酔いしてる奴らもいたからな」
「電車の時間に間に合えばいいけど」



ゴミを一ヵ所に集め、ようやく終わったと背伸びをしたその時だ。すぐ後ろに夏油がいた。伸ばした腕があたり、あ、ごめん。そう言いながら顔を上げる。夏油は自然に背後から抱き締めて来た。余りに自然過ぎて何の反応も出来なかったくらいだ。



「え?何?」
「別に」
「私、彼氏いるんだけど」
「知ってる」
「夏油も彼女いるじゃん」
「そうだね」



そうだね。そうだねって、何?聞き返す事も出来ず近づく夏油の顔越しに今にも降り注いできそうな星空を見つめた。瞬き一つ出来なかった。

きっかけといえばこれだ。丁度その頃、も夏油も他校に恋人がいたし、その事は周知の事実だった。夏油の方はどうか分からないがこちらは生活スタイルの違いにより終わりが近づいていた。高専生あるあるだ。

互いに寮に住んでいるのだし、実のところプライバシーは余りない。夏油とのセックスは突発的に迎え入れる事が多く、それこそ高専のトイレだったりシャワー室だったりと、人目を忍ぶ。その途中でこちらは彼氏と別れたが、別に聞かれる事もなかった為伝えていない。夏油側の話をが聞く事もなかった。










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その日は数十年に一回と呼ばれる大雨に見舞われていた。部屋の窓から外を眺める。余りに大量の雨が地面に叩き付けられ数メートル先も見えない。流石に高専も休校扱いになり暇を持て余していた。

本来であれば今日、二人揃って任務に出ていた硝子と五条が戻って来るはずだったのに生憎のこの雨だ。つい先刻、到着が明日になると連絡がきた。



「入っていいかい」
「!」
「私たち以外、誰もいないんだ」
「いいけど…」



夏油の本心は分からない。気持ちでさえも半信半疑だ。他の人の目がある場所ではけっして危うい真似などしない。夏油の方には教師陣から、豪雨により帰りが遅れる旨の連絡が行ったらしい。だから今、三年生寮内にはと夏油しかいない事になる。



「珍しいじゃん、こんなの」
「だろ」
「ちょ、」



部屋に入ってすぐに夏油はこちらを抱き締めて来た。自室に夏油がいる事自体が異質で慣れない。同じ天井見ているのだろうに、私の生活空間にこの男が馴染まないのだ。

普段眠っているベットに押し倒され口づけられる。二人分の重みに耐えかねマットレスが深く沈んだ。 そういえばこうしてゆっくりセックスする事もそうなかった。夏油に押し倒される体制は初めてかも知れない。下から見上げる夏油は大きい。重みでこちらを潰してしまわないように片腕で身体を支え器用に弄って来る。

窓の外は依然激しい雨が降り続いており、時折雷鳴も轟き出した。はあはあと互いの吐息が交じり合う室内を稲光が照らし何の音も聞こえなくなる。

自室で行った初めてのセックスは正常位で始まり正常位で終わった。射精する直前の夏油がこちらを強く抱き締めて来た時、初めて息が止まるかと思ったのだ。それはまあ、物理的な意味でもあるし、精神的な意味合いもある。事後ベットの上で所謂ピロートークをしている時に初めて関係に言及した。



「夏油は私の事、好きなの?」
「好きだよ」
「そうなの?」
「何だよそれ」
「好きだったら、こんな事しなくない?って思って」
「そうかな」
「だって彼女いるし」
だって彼氏いるだろ」
「んー」
「もしかして別れた?」
「まぁ、元々別れそうだったんだけどさ。別れたよ」
「…私の事が好きだから?」
「いや、それとはまた違う話よ。そういうんじゃない」
「そいつは残念だな」



そう言った夏油はの髪を撫でた。背後から抱き締める夏油の腕に頭を乗せているから互いにどんな表情をしているかは分からない。初めての言及はどうやら失敗だ。少しの沈黙を挟み、夏油がの左耳を触った。



「何?くすぐったいんだけど」
はピアス、開けてないんだな」
「ああ、なんかタイミング逃しちゃって」



こういうのって時期があるでしょ、とは言う。中学時代に一瞬流行ったのだが、何となくそれに乗り遅れ開けるタイミングを失った。高専は校則も煩くないし何れ開けたいとは思ってるんだけど。

目を閉じながら話していれば規則的な雨音と夏油の鼓動に眠気を誘われる。うとうととしていればだ。



「私が開けようか」



思いがけない夏油からの申し出に眠気は一気に消え失せた。思わず振り返ろうとするも夏油がわざと体重をかけて来て身動きが取れない。



「え?ピアサーとかないし」
「いいよ。安全ピンあるだろ」
「安全ピンで!?」



それからはとんとん拍子で、ベットに座ったまま夏油が持って来た携帯アイスノンで耳朶を挟み冷やす。そんなの前では夏油が安全ピンの先をライターで炙っていた。



「本当に痛くない?」
「あぁ」
「いや絶対嘘じゃん針刺すんだよ痛いに決まってる」
「一瞬だって」



雨はより一層勢いを増している。目を閉じて安全ピンを刺されるまでの数秒、夏油の指が耳たぶを掴みすぐにプツリと音がした。皮に穴が開く。痛みというより熱さだ。まるで夏油の指から浸透した熱さに全身が侵される。心臓が尋常でなく波打ちこのまま死んでしまうのではないかと思った。









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毎日消毒しろよ、と渡されたマキロンがとっくに空になった頃に夏油から小さなピアスを渡された。もっと大振りなやつが好きなんだけど、と返せば普段使い出来ないだろと笑われる。確かにそうだと思いつけてみれば存外似合った。鏡越しにうつる夏油も満更ではなさそう顔をしていて笑った。

誰かが気づくかと思っていたが、そもそもは髪の毛を余り結ばない為ピアスを開けた事に皆気づかなかった。自身忘れていた位だ。ある蒸し暑い日が来るまで。

その日は朝からバカ高い湿度の為、皆辟易としており、も流石に教室内で髪を結んだ。そんなを見て硝子が声を上げる。



「あれ?あんたピアスあけてたっけ?」
「!」
「かわいーねそれ、似合ってるよ」



硝子の向こう、夏油がこちらを見ている。なんとなく恥ずかしくなり笑いながら話を逸らした。

それから数分後、五条が始業ギリギリに駆け込んできた。教室に一歩踏み入れた瞬間立ち止まったようで、ふと顔を上げる。その距離でよく気づいたなと思うくらい、五条は完全にこちらの顔ではなく耳一点を見ていた。その後と目が合い徐に歩き出す。


「マーキングみてーじゃん」
「え?五条何か言った?」
「マーキングみてー」
「何それ意味わかんねー」



硝子が笑う。だけれどこちらはまるで笑えなくて、夏油の隣の席に座る五条を黙って見つめる事しか出来ない。夏油は当然素知らぬ顔をしているし、それ以降も何も言わない。セックスは数回した。五条がその言葉を発したのはその時、一度だけだったからだ。モヤモヤとしながらも無意識にピアスを触ってしまう癖だけが残った。それでもその意味をどちらにも聞く事はなかった。

そうしてその翌月。夏油は例の事件を起こし姿を消した。