出口なき楽園、それは地獄か

   別にこの世に生まれてから一度として正義の二文字を感じた事はない。父親が世界政府関連の仕事に就いていた関係で、酷く恵まれた環境に育った。この世は単純に二極化出来、持つべきもの持たざるべきものに分けられる。は持つべきものだった。

父親からの強い推薦で海軍に入る事になったものの、その姿は単なるお飾りのようなもので、強いコネに後押しされた約束された肩書の為にそれなりの振る舞いをする。の素性は皆が知っていて、我ながら好き勝手に振る舞っていたと思う。

海軍学校を卒業し、いざ配属された。同期は数人いて、その中の一人がスモーカーだった。上官は露骨にを贔屓する為、基本的には現場に出る事無く、ひたすら詰まらない時間を無駄に過ごした。同期達は危険な現場へ配置され、半年の間に一人が殉職した。

父親からの命はどうやら絶大なる力を持っているらしい。誰もが言う事を聞く平坦な日々は今更でもない。産まれてこの方、ずっとそうだった。そんな暮らしが続いていたある日の事だ。

時刻は夜半過ぎ、の自室に賊が入った。寝入っていたところを襲われた形になる。急に口元を覆われ目が覚めた。男だ。大きな男が馬乗りになっていた。反射的に抵抗しようと腕を上げるも、思いもよらない方向に動く。全身がそうだ。まるで自由が利かない。

おいおいおいおい、よくねェ。そいつはよくねェ。男が笑った。どうやら細い糸のようなものに全身が縛られているらしい。少しでも動くと、ギリギリと締め付けてくる。つう、と細く血が流れた。どうやら肌が切れたらしい。


「あなた、何」
「驚かねェか」
「知ってる人かしら」
「どうでもいいのさ、そんな事は」


男はの唇から顎、首筋、胸元へと指先を滑らせ、身に纏っていた柔らかな布を切り裂く。犯されるのだと瞬時に思った。それなのに何故だろう、少しも恐ろしくない。糸に縛り上げられた身体を男は堪能したはずだ。これまで一度として感じた事のない感触にも我を忘れ没頭した。

明け方に差し掛かる頃に全身汗まみれになったを置き去り、男は部屋を後にした。細い糸に縛られた痕が全身に残り、見るからに凌辱された様が伝わる。第一発見者はスモーカー。起きて来ないの様子を見に来たところ、彼女の部屋の前で倒れている護衛を発見(の父親は彼女に数人の護衛をつけていた)ノックをするも返答がない為、ドアを蹴り飛ばし散々な姿を目撃してしまったわけだ。

スモーカーは酷く狼狽した様子ですぐ様を下ろしシーツで身を包んだ。正直なところ数時間も好き勝手に弄られていた身体は疲れ切っていて、その辺りの記憶はおぼろげだ。気づいた時には病院にいた。

心配していたが、流石にの父親へそのまま告げる事は出来なかったらしい。どうしてもというのであれば、と一応確認はされたが断った。これ以上束縛が激しくなるのは御免だったし、何となく犯された事実を父親に知られるのは気まずい。あれはこちらが結婚するまで処女だろうと妄信している。知られれば厄介だ。

上官達にしてみれば助かっただろう。首が飛んでもおかしくない。それからの警護にはスモーカーがつく事になった。同期の仲でも出世頭の男だ。どうやら彼はこの一件に関して罪悪感のようなものを抱いているらしい。まるで壊れ物のようにを扱った。

汚された哀れな女だとでも思われていたのだろう。糸の痕が消えるにつれ、心の奥の方がじくじくと疼きだす。真夜中、部屋の前で警護をしているスモーカーを部屋へ引き入れた。心の傷を演じれば、この男は私の言いなりになると知っていた。

愛情のような、同情のような所謂根っこが情で出来ているものを人質にして心を弄ぶ。スモーカーは良い人間で、情に厚い男だったから身を交わせば交わす程に心も奪う事が出来た。この男は私を愛している。

二人の仲が公認となり、お偉いさんたちは安堵したらしい。そんな関係が一年程続き、二人で一緒にすむようになった。そんな矢先の出来事だ。二つ離れた町で海賊たちが暴れているという一報を受け、真夜中に招集がかかった。当然スモーカーは出動し、はそのまま部屋に残る。

そこに、来た。浅い眠りから覚めれば男はこちらを見下ろしていた。あの時と同じ匂いを漂わせていた。


「あいつと懇ろになったってのか」
「ドンキホーテ・ドフラミンゴ」
「!」
「私の父絡みの話なのかしら」
「フッフッフッ…!」


随分と聡明なお嬢さんじゃあねェかとドフラミンゴは笑う。そう、そうだ。お前の親父が余りにもふざけた真似をしやがるもんで、挨拶がてらお前を犯したのさこの俺は。男は続ける。


「だけどまぁ…予想外でね」
「…」
「こいつは随分と性質の悪ぃ女だ」


俺好みの。
そうなのだろう。恐らくは。わたしという人間は悪いのだ。もうそれは生まれ持った素質のようなもので恐らく変えようがない。心がないのだ。だからどんな事も出来る。こうして自身を犯した男を容易く受け入れる事も出来る。特に何とも思わずに。

お前みたいな女は手に余るだろ、あいつには。こちらを抱きながらドフラミンゴはそう言う。飽きたら俺のトコに来な。歓迎するぜ。射精の前にそう言った彼の真意は分からない。気持ちよさに後押しされた妄言かも知れない。だからとりあえず、今回は縛らないのね、と笑った。

だから私には心などなく、ないものは理解しようがない。ドフラミンゴのあの匂いが何を意味するのかも分からないし、任務から戻ったスモーカーが血相を変えて起こして来た理由も分からない。

何、どうしたの。寝ぼけ眼でそう答えるに、匂いが。そう言いかけ止める。耐え難い眠りに落ちて行く間、こちらを抱き締めたスモーカーの腕は、僅かばかり震えていた。