もういちどもうにどと
ジャミルの言う事はあながち的外れではなかったのだと気づいたのは別れてすぐの事だった。確かに自分という存在はイレギュラーで、彼らも扱いに困っていたのだろう。
学園長から渡された制服がパンツだったもので、何となく男装すべきなのかとこちらは受け取ったのだが、後々聞けば男子校なので制服は一つしかない。故にそれを渡しただけだったらしい。そういえばさんあなた女性でしたね、私とした事がうっかりしてました、学園長はいつもの調子でそう言っていた。
男装といっても明らかに体躯の差はある。第二次成長を終えた身体はその差が明白だ。だけれど皆、暗黙の了解で器用に明言を避けた。腹の中がどうかは兎も角、牽制したのだ。しかしジャミルと付き合った事に寄り防波堤は崩された。ジャミルは、その事を言っていた。
ここ最近、こちらはこれまで通り接しているがやたら押しの強い寮生に疲れてきた。男を感じる瞬間が増えた。あの目の色が変わる瞬間。寮長達とは確かに友達ではない為、こちらがショックを受ける必要はないのだが疲れる。ジャミルと別れたばかりだしそんな気持ちには到底なれない。
取り付く島もない別れだったが、こちらは当然引き摺っている。オンボロ寮で一人眠る時、思い出すのはジャミルの事で幾ら考えても答えは出ない。ジャミルの事を傷つけていたのだろう。漠然とそう思う。
二人、落としどころを見つけ歩み寄れると思っていた。そう出来ればと願っていた。だけれどそう容易くない。今日、学園内でジャミルと顔を合わせるタイミングがあった。周囲は当然二人が別れた事を知っている為、空気がひりつく。も息を飲み視線を外せない。ジャミルはこちらを一瞥し、そのまま視線を逸らした。まだ怒っているんだろうな。そう思えた。
そういったストレスから逃れるように、ここ最近はサムの元に入り浸っている。
「モテモテだね、小鬼ちゃん」
「他に女がいないからね」
「はは、こいつは随分と冷静だ」
誰にも話せない状況はストレスを溜める。サムにだけ話をした。ジャミルと別れた事。ジャミルの事をまだ好きな事。ジャミルが私を許せないだけだという事。だけれど縋れないでいる事。
サムは話を聞くだけで特に何かを言うわけでもない。その距離感が心地よかった。自分より年上の男。聞き上手で、何となく優しそうに見えて包容力のある大人の男。弱った心はよくない隙を作る。知ってか知らずかにだ。
そう言う意味ではここへ来たのは正解で失敗、最も抜け出せない泥濘に片足を突っ込む事になる。
Mr.Sのミステリーショップのバックヤードにある休憩室(たまにここでサムは寝ているらしい)に入り浸るには警戒心がない。どんどんと失せた。
オレも男なんだけどね。ちょっとした悪戯心だ。少しだけ若い頃を思い出し苦笑い。同じようなやり口で取られたし落とした。あの時、随分と腹を立てたが取る側はこういう気持ちなのかと笑う。
午前中の事だ。ここにジャミルが来た。料理に使う香辛料を仕入れに来たのだ。そこで少しだけ話をした。
『小鬼ちゃんの事が気になるのかい』
『別に』
『素直じゃないね』
酷く不機嫌そうに香辛料を数えている(こういうところがマメというか、性格が出るよね)ジャミルを見つめ続ける。
『傷ついた小鬼ちゃんは簡単に落とせるだろうね』
『…』
『他の小鬼に遊ばれるくらいなら、オレが守ってあげようかな』
ジャミルの動きが一瞬だけ止まった。何も言わないって事はいいって事かな。追い打ちをかけるようにそう言えば、倫理的にアウトでしょ。そう吐き捨て店を出て行った。
倫理的にアウト。いいね。キミからそんな言葉を聞く日が来るなんて夢にも思ってなかったよ。最高の気分だ。
「…ねえ、小鬼ちゃん」
こんな小部屋で、急に目の色を変えられたらキミはどうするんだろうか。すぐ後ろは壁、逃げ場なんてない。そんなつもりはなかったって?OKOK、大丈夫、みんなそう言うんだ。こういう時はお決まりのように皆そう言う。
「サム、さん…」
「言葉は無粋だね」
「や、その」
まさかこんな事になるとは思わなかった、って言うんだ。次は。自ら望んだわけなく、致し方なくこうなったのだと皆、思いたい。弱り切った心の逃げ場に縋りたい。
の右手を掴みぐいと身を乗り出す。何か言いかけた唇を指先でなぞり舐めた。おどおどとした目が泳ぐ。獲物を捕まえた直後の、これから身に降りかかる出来事に対する不安。畏れ。こんな感覚は久しぶりだ―――――
「おい、誰もいないのか」
「!」
いざ口付ける寸前にかけられた声。サムとの動きが止まる。
「ジャミル…」
「じっとしてて、小鬼ちゃん」
動かないで。そう言い店へ戻る。の言葉通り、店内にはジャミルがいた。偶然ではないだろう。彼は今、ここに来るべきとして存在している。意を決した顔をして。
「今日は何をお探しかな」
「…」
「注文の品はないはずだけど」
「を」
「!」
「を引き取りに来た」
「…へぇ」
「そこにいるんだろ」
「だって、別れたんでしょ?」
「…」
「だったら、引き渡しする義理はないね」
我ながら意地悪な物言いだと思う。だけれど事実だ。ジャミルとの間には何もない。
「!」
ジャミルが大きな声で名を呼んだ。どうする。様子を見守る。バックヤードには入れない。それは過ぎた真似だ。だけれどもう答えは見えている。
僅かな物音と共にが飛び出し、ジャミルの胸に飛び込んだ。ありふれた茶番劇、とんだデキレース。こうなる事はわかっていたとはいえ、少しも美味しい思いが出来なかった。心残りはそれくらいかな。
「よりを戻したって事でいいのかい」
「うるさい」
「明日にはその話題で持ち切りさ」
「どいつもこいつも、好きにしたらいい」
俺はに話があるだけなんだ。
「話、ね…」
「もういい、行くぞ」
「サムさん、ありがとう」
「OK小鬼ちゃん、又、いつでもどうぞ」
君の為に開けておくよ。そう笑い送り出す。つい先刻の接触に関してはノーコメント、あれはオレと小鬼ちゃん二人だけの秘密さ。
ドアが閉まり一人きりになった店内を確認しスマホから発信する。何だか全てがデジャブのようで既視感しかない。確かにこんな青春を送ったような、気もする。
「もしもし、クルーウェル?」
作戦は上手く行ったよと伝えれば、妙な気は起こしてないだろうなと図星を突いて来る。流石、旧知の仲。オレのやりそうな事は大体分かってるね。これで学園内の秩序は保たれたなとご満悦なクルーウェルは御苦労と告げ通信を切る。だからって、どうせ同じ事の繰り返しなんだろう。あの頃のオレたちみたいに。