準備期間



   数日前から、体調がよくない。微熱が続き、それに吐き気と貧血。それに下腹部の辺りがじくじくと痛む。ここ最近の爛れた生活を顧みるに思い当たる節が有りすぎる。

この世界にやって来て以来、コンドームのような避妊具を使った例がない。以前であれば生理痛改善の為に低用量ピルを服用していた事もあり、妊娠の不安を抱いた事は無かったのだが(とはいえ性病の防止にコンドームは使っていた)こちらの世界の男共はどいつもこいつも避妊具を使わない。

マジカメで調べたところ、どうやら男性器に直接装着するような避妊具は存在せず、その代わりに魔法避妊薬というものが流通しているらしい。当然、魔法を使う事が出来ないこちらにしてみれば仕組みがまったく分からないのだが、射精した後24時間以内にその薬を服用し文言を唱える事により何やら受精を妨げるような事が出来るという。

ヴィルにしろアズールにしろ、確かにこちらを抱いた後に何事かを唱えている。マジカメで見つけた魔法避妊薬のサイトによると、その薬自体は購入に年齢制限があるものの、そこは余り問題視されていない。問題は魔法だ。 比較的高度な魔法にあたるらしく、そう誰でも使う事が出来るわけではないのだと記されていた。

だからだ、という確証はないものの、ここ数日の体調不良が妊娠の初期症状に似ており死ぬほどビビっている。

この世界の仕組みは未だによく分かっていない。多少は慣れたといえどもNRCから出た事もないし、この世界の医療体制がどういった形なのかも分からない。元の世界であれば薬局で容易く妊娠検査薬を手に入れる事が出来たのに。

こんな調子なので、ヴィルやオクタからの誘いも断る事が続く。彼らは無理強いはしない。が今日はごめん、と断ればすんなり引いてくれる。それは救いだと思えた。クルーウェルは何やら一週間ほど出張で顔を合せなかった。

暫く安静にしていても体調の悪さはまるで治まらず、生理予定日が過ぎても生理が来ない。一人きりベットの中で悶々と考え込む。

中3の夏、先輩と初めてセックスをした同級生が妊娠した事。あの子は結局自分の母親に相談して病院に行ったんじゃなかったっけ。高2の時にクラブで知り合ったあの子はやけに羽振りが良くて、だけどある日を境にまるで別人みたいに暗くなった。噂に聞いたのだけれど、クラブのトイレで男3人に輪姦された挙句妊娠してしまったらしい。繁華街にある金を出せば何でもやってくれるという噂の産科に駆け込みおろしたらしいのだけれど、術後の経過があまりよくないと泣いていた。

ハッと目が覚める。どうやら眠っていたらしい。涙も流れていた。ここにきて初めてだ。こんなに昔の事を思い出すなんて。元の世界ではどうだったか、だけれど今この瞬間、私はたったの一人だ。

マジカメには大量の未読LINEが件数ばかりを増していく。NRCに来て初めて、声を殺して泣いた。










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魔法薬の懇談会から戻ったクルーウェルがの異変に気づいたのはそんな時だった。一週間程度学園を離れ久々に戻って来て行った授業中、の顔色が明らかに悪い事に気づいた。普段であれば何食わぬ顔をして隣のトラッポラ辺りと無駄口を叩いているはずなのだが、あれは余りにも静かすぎる。

授業後、に声をかけた。彼女は意識的にこちらを避けていた。



「仔犬、どうした」
「…何も」
「紙のように白い顔をして」



ずい、と顔を覗き込んで来たクルーウェルの眼に死人の様な己の顔が映っていた。それが確かに覚えている最後の記憶で、激しい貧血の症状に見舞われその場にしゃがみ込んだ。

体調が悪く、グリム達には先に帰ってくれと伝え他の生徒が教室からいなくなるまで待っていて良かった。こんな姿、絶対に見られたくない。指先から熱が失せ、僅かに痺れる。そのまま目を開け続ける事さえ億劫になり視界は暗転した。










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その女は、恐らく人だった。人間。人の子。この世界にも人の子は存在する。多種多様な種族が混在し暮らしているのだ。だが、その女は毛色が違っていた。

初めてその女と出会ったのはクルーウェル達が遊び場として頻繁に訪れていたクラブだった。嘆きの島の側にぽつりと浮かぶ孤島がその舞台だ。口コミで広がったその島は紹介制となっており、一見さんは島に降り立つ事さえ出来ない。恐らく著名な魔導士が運営に関わっているのだろうが、セキュリティで弾かれてしまうのだ。

NRCに入学したクルーウェルだったが素行の悪さは変わらず、夜間に寮を抜け出すのはほぼ日課となっていた。地元の連れと一緒にその島へ向かう。



「今日は面白いモンが見れるぜ」
「何だよ」
「いいから、愉しみにしてろよ」
「?」



連れの左手の甲には目視出来ない刻印が記されている。それがこの島に入る事が出来る証となる。連れは酷く自由な男で、こういったよくない遊びに熟知していた。家柄上、表立って遊び回る事が出来ないクルーウェルとは違い好きに遊び暮らす。実際のところ、魔術の腕は相当なものなのだが学費の面で一流と呼ばれる魔法学校への進学は諦めたクチだ。世の中は矛盾に溢れている。

砂浜から島内に少し進んだ場所にセキュリティゲートがあり、チェックが終わるとその先に進む。古代の恐ろしい獣の顔をした入口から地下へと下りようやくクラブへ辿り着けるのだ。

こういうクラブともなると、顔ぶれは大体決まっている。そんな中に、彼女は、いた。目を惹いたのは単純に美しかったからだ。美しく、この世界のどの国の匂いも感じさせなかった。

このクラブの中にいても何ら遜色なく一際目を惹く。連れはすっかり目を奪われたクルーウェルに囁いた。



「なあ?言った通りだったろ」
「誰だよ、あの女」
「誰も知らねーんだよ」
「え?」
「あの女の事を、誰も知らない」



連れの説明はこうだ。あの女はある日突然ここにいた。このクラブに入る事が出来るとなると、誰かの連れには違いない。この島の持ち主は明かされていないが、地理的に嘆きの島に関係のある者ではないかと噂されている。

兎も角、あの女はある日突然このクラブに顔を出し、人々を魅了しているのだ。女はフロアで踊る以外、VIPルームで自堕落に過ごす。そんな話を聞いた以上、向かわざるを得ない。クルーウェルは真っ直ぐにVIPルームへ向かった。