伸びすぎた髪と痛んだ毛先



   急に腕を掴まれ驚いた。息を飲み振り返ればそこにいたのは馨で、腕を掴んでいたのは彼だった。彼の顔を見た瞬間、色んな感情が一気に弾けた。懐かしさ、驚き、畏れ。やはりこの街に、迂闊に戻って来るべきではなかったのだ。

随分昔にこちらを捨てた父親が死んだと警察からの連絡を受け、嫌々ながら身元確認をする為にこの街を訪れた。それは確かに実の父親で、その姿は余りに衰え老いていたが不思議とすぐに分かった。

後処理をどうするか聞かれたが、全てを放棄する旨を伝え行政に任せた。この街にはロクな思い出がない。二度と足を踏み入れるつもりはなかった。



「馨…」
「久しぶりだな、
「あの」



その手はまったく振り払えなかった。馨から掴まれた腕は熱い。その姿に怯えているが目が離せない。馨は特に何も言わずを掴んだままハマーに乗り込んだ。心臓は激しい動機に襲われ酷い不安に苛まれる。この街は嫌いだ。この街は、



「…帰って来たの、お前」
「いや、違うけど」
「…」



気まずい理由は他にある。



「お前、何で逃げたの」
「…」
「逃げたんなら、何で戻って来たの」



馨と出会ったのは彼がシシックから独立したくらいの時期で、は大学に通う傍らパパ活に手を出すような、どうしようもない日々を送っていた。人生に望みは何一つ抱いていなかったが金は欲しかった。

確か、パパ活仲間のもっとどうしようもない女が金を借りていた先がカウカウファイナンスで、結局彼女は姿を消し、結果どこぞの風俗に身を落としたらしいのだが、そんな彼女の行方を捜している最中に初めて顔を合わせた。

そういう人種を目にするのは初めてで、声をかけられてすぐにLINEを交換した。馨は最初、こちらを客になる予定の女だと思っていたらしい。生憎こちらは金を借りない。金はバカな男達から巻きあげるからだ。そういう生き方をしている事は、当然馨には黙っていた。

馨からの返事はまちまちだったが、LINEを交換して一月後には食事をするようになり、ホテルにも行くようになった。付き合っているような状態ではあったが、互いに明言はしなかった。馨の気持ちが分からないが、でパパ活を辞める事が出来なかったからだ。

大学卒業を間近に控え、パパ活で培ったロクでもない人脈を生かし就活は大成功。内偵も貰い自由気ままな日々を過ごしていた。だから馨との関係もにとっては束の間の息抜きで、確かにちゃんとした付き合いなんて求めてはいなかった。

大学に入りパパ活に味をしめ、そうなれば誰かと愛を育もうだなんて気にはならない。心は荒んでいたのだろう。そんな時、あの男と出会ってしまった。



「…馨なら、幾らでも調べられたでしょ」
「…」
「私を捜すなんて余裕で出来たはずよ」
「そうだな」



この男はどこまで知っているのだろう。



「だけど、捜さなかった」
「捜して欲しかったの」
「…」
「お前は」



新しいパパはやけに若く、一目見てすぐに普通の男ではないのだろうな、と思えた。とある個室の店で当たり障りのない会話をしながら逃げ道を探していたに向かい、男は言った。丑嶋の女なのか。

目前の男はじっとこちらを見つめている。何ですか?そうとぼけた。頭の中ではこの場をどう切り抜けるか必死に考えながらだ。男の眼差しは全身を舐める様に侵す。この男は危険だ。

ずらりと並べられた食事に男は手をつけない。恐れている事を必死に隠しまったく味のしない食事を流し込み逃げる様に席を後にする。つもりだった。

個室の扉に手をかけたを男は掴み押し倒した。掘りごたつのあるこの部屋は離れにある。幾ら悲鳴を上げても誰も来ない。この男が根回しをしていたのだろう。上着を脱ぎ、シャツのボタンを外した男の胸元には入れ墨が見え隠れしており、やはりそうだったのかと思えた。

男は片手での両腕を抑えていたが、殴りつけてくる事はなかった。入れ墨を目にし抵抗する気はなくなった。が抵抗しなくなると両腕は解放された。挿入自体は唾で濡らされ多少無理矢理に行われはしたのだが遅漏気味の男だった為、徐々に気持ちよくなった。

こちらが暴れなければ手荒な真似はしないようで、好きに揺さぶられながら過るのは何故この男は私を犯しているのだろうという疑問だ。男は確かに丑嶋と言った。馨絡みの話なのだろうかとも思うが、こちらもこういう生活をしているもので恨みは買っている可能性が高い。こちらから関係を切ったパパからの差し金と言う可能性もある。

反社の人間と直接関わる事はないと思っていたが、そういえば馨もそのボーダー上にいる男だという事を忘れていた。










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事後、怠い身体を起こし着替える。男は裸のまま壁にもたれ煙草を吸っていた。当然彼は弁解をするわけでもなく、優しい言葉も嘘も何も口にしない。一頻り着替えた後、散らばったバックの中身を拾い集めているに向かい、ようやく口を開いた。



「後ろ暗い事があると、厄介だな。嘘なんて吐かないに限るぜ、女は、特に」
「別に、そういうんじゃないんで」
「?」
「付き合ったりとか、そういうんじゃないです、別に」
「…まぁ、」



別にどうでもいいんだけどよ、そういう事は。男がタバコを消した。



「お前、俺の名前覚えてるか?」
「…滑川さんですよね」
「よく出来ました」



又、連絡するわ、と笑う男に会釈をし、その場を後にする。その足で家を引き払い姿を晦ました。

この事というよりも、パパ活をしている事を馨に知られたくなかっただけだ。馨がどう思うかは分からない。別に付き合っているわけでもない。何とも思わない可能性もある。私の事など何とも思っていない。私は―――――

馨から来るLINEも滑川からくる着信もひたすらに無視した。卒論のない学部であり、単位は既に取っていた為、そのまま大学を卒業する事も出来たし、大学を卒業した途端にあれだけ連絡を寄越していたパパ達は一斉にこちらを着拒した。噂には聞いていたが、彼らにとって必要だったのは有名大学の女子大生という肩書だけだったらしい。引越し代と引越し先を用意してくれたパパとも連絡は取れなくなった。

滑川はしつこく連絡をよこしてきたが、馨からのLINEはすぐに来なくなった。何もない。もう、何もない―――――










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馨は黙ったまま車を走らせている。どこへ行くのとも聞かずにいたが、つい先刻過ぎたのは最寄駅だ。何も言えないままハンドルを握る馨の横顔を見つめる。次の信号を右に曲がれば私の住むマンションだ。



「すぐ着くけど」
「…」
「どーすんの」



馨が、呟いた。