狂ったお月様の散歩道



   こんなご時世にも関わらず弊社は未だリモートに踏み出せない。前回の非常事態宣言時に取り組みはしたものの、その時期にちょっと洒落にならない事故が生じてしまい社長は大変ご立腹。在宅勤務は二度と許さないというお達しが社内を駆け巡った。

大手の取引先は最初の非常事態宣言からリモートワークを継続しているし、SNSを見ても相当数の人間が出社していないはずなのに未だ電車内には割とな数の乗客が死にそうな顔をしながら乗っています。その中の筆頭が私!

もうこの一月は本当に最悪で、そもそも師走だし先月何だったの?ってくらいバカ忙しいし、ここさえ乗り切りゃ例年より短い年末年始の休みに突入する(ていうかさ、この休みももっと増やしてくれよって言われてなかったっけ?)からという僅かな望みに縋り邁進していたんだけれど無理~。もう無理~。

この最悪の始まりは、12月最初の土曜に遡る。例年通りであれば季節ごとに色んなイベントが目白押しだったのだけれど、今年はコロナ渦という事もあり出かける事も出来ずに(しかも恋人同士ならば兎も角、関係は知り合い以上セフレ止まりだ)所謂セフレ関係の高杉ともそろそろ潮時かなという時期に差し掛かっていた。

向こうからの連絡もないし既読にもならない。これはもう自然消滅まったなしだなと判断し、久々に連絡を寄越して来た銀時と会う事にした。

銀時との関係は学生の頃からダラダラと続いているのだが、彼は常に定職に就いておらず今も昔も相変わらず何をしているのか分からない。今も自称『何でも屋』らしく自分は自営業者なんだと嘯いていた。コロナのせいで売り上げは激減だと言っていたが、それは昔から変わらない。

だから今回もこれまで同様こちら持ちで!個室の居酒屋から自宅へのお馴染コースと相成った。久々に会った銀時は変わらない様子でヘラヘラと笑い人の金で散々と飲み食いをしやがった。



「絶対、門前払いくらうと思ってたよ銀さんは」
「そんな奴があんなに飲み食いする?」
「何?銀さんにすがるほど寂しかったのあんた」
「そんなの、お互い様でしょ」
「クリスマスも近ぇってのに侘しいもんだねぇ」



事後のピロートークにしては色気がない会話を紡ぐ。



「普通この時期に男と別れるかね」
「別れるっていうか、別に付き合ってるとかそういうんじゃないし」
「あんたまだそういう事やってんの!?もうやめなさいよそういう付き合い方!」
「どの口が言うのよ!?」
「とことん幸せになれない女だねぇ」



だからといって俺が幸せにするよ、だなんて言葉を嘘でも吐かないのが銀時だし、嘘でも幸せにしてよと言えないのがという女だ。だからこうなっている。だって流石に相応の相手を選ぶ。銀時は、そうじゃない。

誰かときちんと付き合うのは疲れる。面倒だし厄介だ。だからこうして美味しい所だけ摘まんでいたらこうなった。誰かのせいにしたいが、これら全てが自分のせいだと知っている。こうして気まぐれに何度か寝た女を渡り鳥の如く訪れる銀時だってそうだ。非常事態宣言とか、私もそうなんですけど。誰か救援してくれるの?

喉が渇いたと言いながら銀時がベットから抜け出し冷蔵庫へ向かった。薄暗い室内に全裸の男がぼんやりと浮かび上がる。銀時が冷蔵庫から水のペットボトルを取り出し一口含んだ瞬間だ。玄関の方からガチャガチャと鍵を開ける音がした。



「え?」
「は?何お前、同棲とかしてんの!?」
「いや、してないけど!?」
「え??じゃあアレ何?泥棒??それともお前に恨みのある誰それ???」



思わずベッドの中で身を起こし部屋の入り口を見つめる。足音は玄関からこの部屋に向かってくる―――――











確かにコロナ前よりも駅の利用者は減っている気もする。最寄り駅にようやく着いた電車からゆっくりと降り、大きく背伸びをする。いつもなら賑わっている駅周辺の居酒屋は半分が閉まっていて、もう半分も閑散としている。

12月の空はどこまでも透き通り全身が凍てつく。確かに人の数は減った。まだ21時前だというのにまばらだ。駅前の交差点を渡りコンビニにでも寄って帰ろう。信号待ちの間、ぼんやりと反対側を見ていれば、何だか見知った顔の男がこちらを見ていた。いや、もう辺りも暗いし見間違えだ。信号が青に変わった瞬間、横断歩道を足早に渡った。



「おい」
「っ!!」
「気づいてんだろ、目が合ってたじゃねェか」
「晋助」



あの日、ドアを開けたのは晋助だった。一月の間一切連絡も取れず、LINEが既読にもならなかった晋助だ。晋助の目にまず飛び込んで来たのは全裸の銀時であり、そうして次にベット内のだ。

これって所謂、現場を押さえた、ってやつ?でも残念ながら私達誰一人、関係が成立していないから意味がない。普段から余り表情の変わらない晋助も流石に唖然としていた。そりゃそうよね。だって全裸の男が目の前にいるんだし。ていうか、何で今更来たの?

そんな中、誰よりも焦っていたのは銀時だ。高杉との顔を交互に幾度も見やり見るからにテンパっいる。

はっ?!何!?お前ら、えっ、そういう感じなの!?ちょっ、おまっ、違っ、違いますよ!?バカ言っちゃなんねェよホラ、これはあれよあれ、事件っていうか事故っていうか。

一人延々と喋り続けている銀時とは正反対には一言も声を出せないでいたし、ふ、と我に返った高杉はすぐに部屋を出て行った。終わったな、と思ってしまった自身が余りにも情けない。別に何も始まってはいなかった。とっくに終わっていただろう、こんな関係は。

晋助が玄関のドアを閉めたと同時に溜息を吐いた。ドアが閉まる寸前に銀時は、うんこ漏らしちゃって俺!と叫んでいた。最悪の言い訳なんだけど、ともう呆れて笑った。



「ええと…何?気まずいんだけど」
「うるせェな、可愛げのねェ女だぜ」
「何してるの」



こんな所で、改めて別れ話だなんてやめてよ。こっちはもう仕事で死にそうになってるんだから。



「仕事がひと段落したんだよ」
「…」
「他に何か、聞きてェのか」



聞きたい事は山ほどだ。だけれど、その必要性はきっと、



「あのバカはクソを漏らしたんだろ」
「…」



こちらの手を取り歩き出した晋助はそう言い笑った。顔は見ていないから表情は分からない。