月の端っこ捕まえて



   お嬢ちゃんどうしたの、こんなとこで。最初にかけられた言葉はそんなもので、正直な所そんな言葉は聞き飽きているはジロリと一瞥だけ返しうるせえと吐き捨てた。ここら付近では誰もが知っている学習塾跡に逃げ込み息を潜めていたというのに、背後から急に声をかけられ死ぬほど驚いたからだ。あいつらが追って来たのかと思い冷や汗をかいた。

男はの悪態をものともせず、何なら元気がいいねえ、と笑いのはす向かいに座り込んだ。丁度窓から月明かりが差し込む辺りで、男の顔がよく見えた。アロハシャツに明るく染めた髪、それにピアス。

贔屓目に見てもまともな職に就いている大人には見えない。まあ、おかげ様で補導のような厄介な真似には至っていないのだろう。それにしたってこの男、どうしてこんな所に座り込むのよ。



「…何か用なの」
「いいや」
「他にも山ほど部屋はあるでしょ」
「生憎、俺もここに住んでてね」
「…」



この部屋は月明かりが一番いい感じに入るんだ。確かに男の言う通りではある。というか、ここに住んでいるとはどういう事だ。ホームレスなのだろうか。まあ、そんなのはこちらも大差ない。

実家にはもう随分帰っていない。男の切れない母親が捕まえた幾人目かの旦那が性的な接触を試みて来た為、腹を蹴り上げ家を出た。母親は実の娘でなくその男を庇ったが、そうなるであろう事は分かっていた為、完全にノーダメだった。

あれは男を欲するし、男無しでは生きていけない。そういう性分の女なのだと、小学校高学年の時には理解していた。

家を飛び出し、半月ほどは友人の家を転々としていたがそれも気を遣う。すぐにパパ活へシフトした。金の為に寝る心情は母親と同じだと思え最悪だなと笑った。だけれど実母よりいい契約は結べているはずだ。何せ奴らは若さに大金を払う。学校に通いながらパパ活を続ける。住まいは奇特な金持ちが提供してくれた。



「…その顔、どうしたんだい」
「…」



そんな生活を続けていればすぐに知れる。別にそれは構わない。猟場が同じ子達と情報共有も出来るし、それが今現在の私に出来る生き方だからだ。

厄介だったのは同じ学校に通っている男子生徒で、どうやら奴らはパパ活をしているイコール性に開放的だとでも思っているようでしつこく誘いをかけて来たのだ。こちとら男の金にしか興味がないというのに、金もない学生と只のセックスなんて真っ平御免だ。

手酷く断っていれば奴らは強硬手段に出た。放課後、急に声画をかけられシカトしたら腕を掴まれた。そのまま空き教室の方へ引き摺られそうになり、股間を蹴り上げ逃げ出した。あのまま空き教室へ連れ込まれていたら輪姦されていたのだろう。腕を振り払い股間を蹴り上げる間に顔を殴られた為、口の中が切れている。血の味がした。



「あんた、金持ってる?」
「見ての通りさ」
「持ってなさそうよね」
「お金が好きかい」



ええと、名前は。男は片膝を立てたままじっとこちらを見ている。よ。そう短く告げた。はお金が好きなのかい。男はそう言う。あんた名前は。そう返せば、メメだよ。忍野メメ。男はそう言った。



「お金が好きじゃ悪い?」
「いいや」
「綺麗な金だとか汚れた金だとか、そんなのないわ」
「稼ぎ方の話かい?」
「そう、そうね。稼ぎ方に違いはあれど、金自体に区別はない」
「拘るって事は、気にしてるのは、君の方だ」
「!」
「罪でも犯してるのかい」



罪を犯すのは私以外の全てだ。この身を貪るのも、それに対し対価を払うのも私以外の全てであり、私を外側からじくじくと削って行く。心無い奴らの無作法なやり口に傷つくのは止めた。一々傷ついていては身が持たない。気が狂ってしまう。私は二度と傷つかない。誰にも傷つけさせない。



「そんな、まさか」
「だったら、気に止む事はないさ」
「…」
「金は金さ。それ以上でもそれ以下でもない」
「あるにこした事はないでしょ」
「そうかい」
「お金がないと生きて行けない」



だなんて、あんたに言っても説得力がないわねとが呟く。そうかな、とメメは笑った。



「あんた、ここに住んでるって言ってたわね」
「そうだよ」
「どうして」
「ちょっと、野暮用があって」
「何それ」
「君だってそうだろ」
「私は」
「戻る場所があるのにここにいるって事はそうさ」



だけれどここはそういう場所で、誰も責めないとメメは言う。マンションに戻らなかったのは億劫だったからだ。この怪我の話になるのも面倒だし、家を知られるのはもっとまずい。だからこの学習塾跡に逃げ込んだ。

今思えばこんなにわけの分からない男に遭遇している事実が何より危うい。犯され殺されていてもおかしくない。そう思えば目前とメメという男がにわかに怪しく思えて来た。



「おいおい、勘弁してくれよ。
「何?」
「そう露骨に怯えないでくれよ」
「!」
「君が勝手に落ち着いたんだぜ」



メメは未だ片膝を立て座っている。立ち上がる気配は毛頭ない。只こちらをじっと見ているだけで、だけれどその眼差しがやけに不穏だと思える。魅入られたのか。メメが煙草をくわえた。火種だけが赤く灯っていた。