哀れむことは許されず



   両親は『盤星教』の熱心な信者だった。物心がついた頃には既にそうで、彼らの言葉を信じるのであれば学生時代に目覚めたらしい。所謂名門校に通っていた両親はそこで心理に目覚め入信に至った。出会いはその教団内。教団では信者同士の結婚を推奨していた。産まれた子供は当然二世として生きる事となる。

幼少期から集会に参加する事が義務とされ、小学校に上がる頃には自らの置かれた立場が異常だと気づいていた。同級生と遊びたい盛りのは、それこそいやいやながら集会に参加していた。

彼らはが真剣に向き合っていない事に憤り肉体的に折檻を行った。長時間同じ体勢を取らせる、食事を与えない、睡眠を邪魔する。彼らはそれを信仰と言う。みすぼらしい姿で集会に連れて来られるを周りの信者たちも見ているはずだ。痣だらけの手足を見ても尚、信心が足りないと笑う。生きて行く為に心を殺した。僅か10歳の決心だった。

それと同じくには秘密があった。幼い頃から呪霊が見えていたのだ。だけれどそれをひた隠しにしている。両親には当然見えず、そもそもこの『盤星教』は非術師の宗教集団だ。横にならえの大人達の中、信仰心のなさをここまで責められているのに、これ以上異質なものとしいて扱われるわけにはいかない。恐らくだが、確実に生死に関わる。だから必死に耐えた。

心を殺し暮らし数年だ。高校生になったは所謂非行の道へ邁進した。毎週末連行されていた集会から逃れるように家へは帰らず遊び回る。両親の不在時を狙い着替えを取りに戻った。

そんな暮らしが二年程続き、家の中で顔を合わせても挨拶ひとつ交わさない状態が健常化していたある日の事だ。珍しく両親が話しかけてきた。教祖様がお前にお会いになりたいそうだ。

正直酷く呆れたのだが、笑顔を貼り付けた両親が余りにも憐れで、別にいいよと返した。その教祖とやらに一言二言、何かしら言ってやろうと思った。










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数年振りに訪れた教団本部はまるで変わっていなかった。両親は教団の幹部に率いられどんどんと施設の奥へと進む。初めて間近で見た『教祖様』は若い男だった。こんな男だったか、と思う。こんなにも若い男が教祖だったのか。

記憶の中の教祖様は姿かたちがはっきりとしない。基本的に距離があったからだ。酷く興奮した様子の両親は上擦った声で一方的に喋り続けている。それを聞くに、どうやら教祖様は交代したらしい。

この若い教祖様を両親は夏油様と呼ぶ。夏油様は両親をまったく見ていない。その事に両親は気づいていないらしい。それだけで居心地は酷く悪かった。その代わりのようにこの男はこちらを穴が開く程見つめて来る。視線を合わせれば微笑んだ。



「お前は余り顔を出さないな、
「…信心深いのは両親だけなので」
「何故だい。ここはお前の家なのに」



夏油はニコニコと微笑みながらに話しかける。一方的に喋り続けている両親に一切の視線を向けず相槌一つ返さず、それでいてこちらには話しかける。これは変だ。これはよくない。この男はよくない―――――

以前のボンクラ教祖からは感じなかった強い気配を感じる。わたしはそれが、ひどく、こわい。



「どうした、。具合がよくないか」
「いえ、あの」



急に襲った吐き気を抑えたくて口元を覆った。視線が夏油の足元に移る。夏油の背後にあれが見えた。あれ。この数年、色が薄くなり気配も余り感じ取れなくなった魑魅魍魎の数々。視線が合った。殺していた悲鳴が漏れる。



「…視えているんだろう?お前には」
「…!!」



目前ににゅっと顔を出したそれに耐え切れず逃げ出した。恐ろしく限界だった。何も視えない両親の罵声を背に受けながら振り返る事無く走り去る。



「いえいえ、賢明なお嬢さんですよ」



初めて夏油がの両親を見た。彼はそのまま見下ろして―――――










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あれ以来は一切実家に寄り付かなくなった為、両親の怒りがどうなったのかも知らない。あの男の眼差しが思い出されひたすらに恐ろしかった。

とりあえず一人でいると不安で毎晩の様にクラブへ入り浸り喧騒の中で息を潜める。夏油に会ってからというもの、明らかに有象無象の気配が濃くなった。奴らはハッキリとこちらを認知している。人に紛れこちらを見ている。

一度気づけばクラブ内に奴らしかいない事があった。慌てて逃げ出し、それ以来奴らの好みそうな歪みを避けて暮らすようになった。人の多い場所には奴らも多い。人気のない場所にも奴らは多い。どんどんと気配は濃くなる。そうしてじきに気づく。そんな場所はこの街に存在しない―――――

気づいた時には教団本部にいた。誰の意思でもない、自らの意思でここに来たのは初めてだ。青ざめた顔をしたを見た受付の人間は誰かに電話をかけ、すぐに教団の幹部が迎えに来た。まるでこうなる事が分かっていたように。

連れられたのは教団の奥深く、一般の信者では入る事の出来ない場所だ。奥に進むに連れ一般信者の姿が見るからに少なくなった。通されたのは四方が壁になっている無機質な部屋だ。中央には両親が座っていた。

二人はこちらを見て歓喜の声を上げた。ゆっくりと二人に近づく。両親の足は呪霊に喰われていた。それにも関わらず彼らは振り払う事もなくそこにいる。それが見えていないのだ。



「どうした?



夏油は背後からこちらを抱きしめ耳側で囁く。



「お前は家族だ」
「…」
「私達の家族なんだ。私達こそがお前の家族だ」



こいつらがお前に何をしたか忘れたのか。



「何故躊躇する必要がある?お前の家族は私達だろう?」



今まさに命を消されるというのに、当の両親は背後の夏油を見つめ涙を流している。まるで神に命を捧げる殉教者とでも言わんばかりにだ。

ああ、そうか。ようやく気づく。この人達には最初から私の姿など見えていなかったのだ。

こうするんだ、と囁かれるまま両親に向け片手を向ける。私にとって初めての呪力は実の両親の命を奪ったわけだ。目の前に転がる両親の遺体を前に立ち尽くした。何をしてしまったのか理解するまでに時間がかかる。何故殺されたはずの両親は満足げに微笑んでいるのだろう。

の目前には両手を広げた夏油が立っている。



「おかえり、



夏油の声が、聞こえた。