煤けた香りが纏わりつくのはこんなにも狭い場所だからだ。

人と人の距離が尋常でなく近い。
普段ならばどれだけでも離れていて欲しいと願う割りに
皆この場所に集い触れ合いたがる。本心はどちらなのだろう。
触れていたいのか。触れられたくはないのか。分からない。
自分の事も分からないのだから人の事なんて分からないだろう。

丁度今 の目前には恋人になれなかった男がいる。
他の、どうなのだろう。あれは彼女なのだろうか。分からない。
あの男がそんなものを作るかどうかも分からない。
そんな男を好きだったわけだ。今でも若干好きだろう。
気持ちの整理には存外時間がかかるから。

詰まらないものを見てしまったと思いながら
極力自然に視線を外した は小さく舌打ちした。
蛭魔を好きになったのはどれくらい前の事だっただろう。
出会った頃は酷く嫌いだった。
あの、人を見下したような、見透かしたような視線が嫌いだった。
それなのにどうして好きに為りえたのだろう。

ふと気づけばこうも下らない事を考えてしまっているから
は遣り切れなくなるのだ。
あの男は優しさとやらの類でこちらに視線を送っているのだろうか。


「振られたらしいじゃねぇか」
「なーんであんたまで知ってんのよ」
「図星かよ」


ダセエ。
大きな影が自身を隠したかと思えば阿含の登場だ。
阿含は遠慮なしに入り込む、心に。そうして触れる。
淋しいのだろうかとも思うがこの男に限り、同時にそうも思う。


「あれだけひっついて回ってりゃあな、誰だって分かんじゃねーの」
「残念ね、もう見れないわよ」
「何で振られた」
「・・・知らない」


至極面白い話のように口を滑らす阿含を軽く睨んだ は直ぐに笑った。
怒る要素も気力もないのだ。脱力感、それだけ。
蛭魔はとっくにいなくなっている。
あの髪の長い、そうして凛とした女と消えてしまったのだろう。
残り香さえ残さず。

狭い割りにやたら淋しくなった は阿含に近づく。
嘘を消化するために
阿含は逃げない。如何なる場合もだ。
だからといって を引き寄せる事もなく、
只小さく惨めな女。そう呟いた。

蛭魔に振られてるわけなんですがね。
そうして阿含のこのポジションな。理想か。
この二人は頻繁にクラブ的なとこに来てるのかと