続くべきところへ

どうして彼女はこれより先に立ち入らせないのだろう。理由は分かっている。
納得はまるでいかないのだがどうしようもないのだから仕方がない。
は大体五メートル範囲内に骸を近づけさせないのだ、大分昔から。
警戒しているのだろうし、
まあ警戒しているという事は少なからずとも意識しているという事だ。
と解釈した。


何の能力も持ち合わせていない割りに直感ばかり鋭いのも如何なものか、
そんな事を思っていたのだ。
だから犬辺りがちょっかいを出していようとも傍観に勤めた。
動くものを自ずと(望まずともだ)追ってしまうあの男は
ちょろちょろとの周りを動き回り邪魔だと一蹴されている。
そんな、他愛もない光景が好きだと誰に言える。


「・・・王様」
「何です?」
「あんたって、王様じゃない?」


又しても等間隔、五メートルの間を置き珍しくもが口を開いている。


「この距離は何です?」
「見えない距離感」
「見えない距離感?」
「あんたの未来が見えない距離」


はそう呟きこちらに背を向ける。
一瞬呆気に取られた骸は思わず笑ってしまい周囲を困惑させた。







幼い頃、実母から気持ちが悪いと吐き捨てられた。
あの記憶だけはいつまでもついて回る。
それ以来実母はをまるで汚らわしいもののように扱い、
まあそれ以前から好かれてはいないのだろう、そう思えていた為に脱力しただけだ。
あんな女なんてどうでもいい。
それに実母という生き物はその後余り長い間滞在しなかったのだ。
の実父はあの女に見切りを付けた。
彼は彼で、実母が気持ちが悪いと吐き捨てたそれを心待ちにしていたのだから。







大体月の半分は登校しないを千種が調べ終えたのが丁度一昨日の出来事だ。
普通の女の割りに素性が掴めず足取りが分からない。
犬は遊び相手がおらず暇を持て余すだけだったが
千種の反応は見る見るうちに変わっていった。想像していたよりも露骨にだ。
それは骸にしてみれば面白い反応だった。
普通じゃない。千種がポツリと呟いた言葉。
それでも骸は普通の女だと笑う。
それは惚れた弱みですよと言われれば、そうなのだろうかと思えた。
今日は恐らく登校の日。


「・・・崇められてましたけど」
「へぇ、そりゃあ面白いですね」
「顔が全然違いましたよ」
「魅力的でしたか」
「・・・」


千種のいうそれは、恐らく時折見せるあの眼差しに関係しているのだろう。
冷えた眼差しだ。


「お!!」
「・・・」
「何で元気ねーんだよー!」
「血の臭いがする・・・」
「はぁー?お前、何言ってんの?」


千種の動きが止まり、骸の眼差しが細まる。
犬だけが分かっていない。
昨日の事なんてとうに忘れ去ってしまっているのだろう。
は嫌そうな顔をしたまま席に着く。


「・・・」
「拭っても拭っても」


そりゃあ消えませんよね。
指先を眺めながら骸がそう呟けば前方のが苛立ったように足を組みなおす。
その日だ。骸の狂気が僅かに暴れたのは。







「今日は少しやり過ぎてしまいましたね」


転がる輩を見下ろしながら骸がそう呟いた。
何故かは分かっているのだから、だから可笑しかったのだ。
汚れた手を洗わなければと水周りを探すが見つからない。


「・・・!」
「どうしました、千種」
「あれを」
「・・・おや」


がこちらへ向かい歩いて来ている。陽炎を背負い。
どうにも苦手意識が先立った千種はさり気なく後ずさり犬を抑えた。


「血の臭いが消えないのよ、あんた達」
「今日は、近いんですね」
「あんたから血の臭いが消えないじゃない」
「えぇ」


ゆっくりとした口調で骸は答える。実際に掌は血に塗れている。今尚。
そんな些細な事柄なんて気にも留めない。
実際問題だけだろうと思う。気に病むのは。それは何故か。
・・・特別だからか。


「いつもの顔を見せて下さいよ、
「何?」
「縋る人々を見下したあの眼差し、そんな目で僕を見ればいい」
「ちょっと・・・何?」
「誰もがあなたを恐れる。だからあなたも、僕を恐れるんですか」
「何の話か分からないんだけど」
「僕の未来は、そんなに悲しいものですか、


あなたの眼差しが歪んでしまう程に。
骸にそう言われようやく気づく事が出来る。今の表情に。
この遣る瀬無い苛立ちは悲しみだったのだと。


気持ちの悪い娘だと呼ばれ、それでも実父だけは温かく守った、金を得る為に。
人々はを頼る。単に未来が見えるだけのこの両の目に多額の金を与える。
見えるだけだ。単に見えるだけ。何も変える事は出来ない。役立たずな。
人々を落胆させ生きる気力さえ奪う未来なんてものを見るだけの両の穴。


「・・・知らないわよ」
を泣かせるつもりはなかったんですよ、僕は」
「何なのよ、何なのよあんた」
「そんなにが怯えるのなら、無くしてしまいましょうか」


未来なんてものは。
未だ怯えた表情が残った千種はこちらを見ているだけだ。
恐らくあの二人にはと骸の会話は聞こえていない。
骸の身体に隠れてしまったは伸び行く影だけで確認される。
余りに孤独なこの男の未来なんて無くしてしまえばいいのだ。
どうも出来ない事を知りつつも骸の言葉に反論出来ないでいるは何故だろう、
まるで真意を知りえなかった頃の父親のように優しく抱きしめる腕をぼんやりと見ている。


未来なんてものは結局続くべきところへ続く、
そうしてあの弱者達とは決定的に違う箇所によりは救われる。
骸は未来を知っているのだから。
ふと耳元で囁かれた言葉は愛の言葉だったのだろうか。
血の臭いばかりが鼻につき肝心な言葉さえ聞き取れずにいた。

書いてみて分かったんですが