だから待て、だっただろうか。そうして次はどうして。

少しだけ話を聞けと言った男に
内心馬鹿じゃねぇのかと悪態を吐き事の成り行きを見守る。
細い腕を捕らえ彼女が振り返る瞬間、
話の内容は単純なものでありそれでも第三者である槌矢には
核心部分がまるで分からないでいる。

伊武が珍しく を追いかける構図だ。
こんな様子を見せられ何もないとは到底思えず
槌矢は槌矢で動く事が出来ない。
盗み聞きしていたと思われれば厄介な事になるし
何より に会いづらいだろう。

あれから とは話していない。
自分が口火を切ったにも関わらずだ。
何をしたかったのかと問われても明確な返答さえ出来ない有様だ。
問題を大きくしたいわけでもなしに、
しいて言うのであればあの雨が心を揺らしたのだろう。よく分からない。

「何で怒ってやがんだ」
「怒ってないから」
「何だよ」

何だよお前は。
伊武が を追うという姿を目にするのは
酷く陰鬱な気分にさせるもので
あの日の事なんて忘れてしまいたい思い出と化す。

横恋慕などしない。した事がない。
するつもりもなかったというのに。
しかしこれが横恋慕になるのかと問われても槌矢にその答えは分からない。
伊武と は言葉少なめに言い合いながら姿を消した。





ふざけるなと怒鳴りつけたい気持ちを消し去りたくタバコに火をつける。
こんな姿を目にしたらそれこそ伊武は尚更怒るのだろうし
いい加減終わりにしたい。

それでもやはり人は理由を求めるもので
(だからといってそれで納得するとは限らないにも関わらず)
それでも言える理由と言えない理由が存在するのだから
やはり は言えないのだ。
そもそもあの男が不相応な執着なんてものを
持ち合わせていたものだからややこしくなった。

「・・・最悪」

どの道泥沼に転がり落ちるだけなら
無理にしがみ付く必要はないかとさえ思い始める。
その方が明らかに楽だし望んでもいるからだ。
出来ない理由は唯一皆が最後まで投げ出さないものに所以している。
激昂すれば事態はどうなる。

そんな事を思いながら隣で寝ている伊武を見下ろせば
尚更やり切れなくなった。
先にホテルを出よう。
音をたてないよう気をつけながら身支度を済ませ部屋を出る。
こんな事はもうやめようと気まぐれに思っただけだ。





その日は兎も角伊武の機嫌が悪く皆辟易としていた。
そんな中いつもいるはずの の姿がない事に気づいたのは恐らく槌矢だけであり、
故に槌矢だけが不機嫌の理由を知る事となる。
格好の餌食となったのは高杉辺りであり
無情ともいえるトレーニングが加算されていた。

スパイクの紐を結びなおしながら他愛もない、
それこそ他愛もない事を考える。
伊武の荒れ具合と姿の見えない が意味するものを模索する。
薄っすら目を明ければ雲間から陽が差し視界が歪んだ。
陽炎のような光景をじっと見つめその先を見る。
がいた。
未だ高杉達に対し支持出しをしている伊武は気づいていないのだろうか。
視線を送り又戻す。

「おい、槌矢!!」

ロッカールームに戻り
ストップウォッチを持って来いという指示を出したのは伊武本人だ。
無論槌矢も異議を唱えず指示に従う。
ロッカールームに向かったのは
伊武本人の指示を素直に受けたまでにすぎない。

タオルで汗を拭きながらフィールドを後にした槌矢は
振り返る事なくロッカールームへ向かった。





「・・・何やってんスか」

ドアを開けすぐに は見えた。
ロッカールームの真ん中にあるベンチに座り込み
ぼんやりと天井のファンを見ている。
声をかければすぐにこちらに視線を送った。

「何してるの」
「そりゃ、俺の台詞っスね」
「まぁね」

は少しだけ疲れた様子で笑った。

そういえばあの日以来言葉を交わす事がなかった事に今更気づいた。
視線を合わせれば違和感が浮かぶ。
あの日の槌矢の言葉は何だったのだろうか。
今更本人に聞けるはずもなく、それでいて思い出せばあの時の感触が蘇る。
知れただろうか。槌矢の表情は普段通りだ。
目は開いていない。あの時のようには。
出来るだけ平静を装おうと息を少しだけ吐き出しながら
会話を紡ごうと断片を探した。

何をやっているのかと槌矢は問うたが
自身にさえ何をしているのかが分からないのだ。
伊武との関係を終わらせようと思い立った理由が分からないのと同じ―

「あんた、いなくなるんスか」
「えっ?」
「何もかんも全部捨てて、勝手なもんだ」

理由は分かっている。
分からない振りをしているだけだ。
何も分からない振りをしていた方が楽だから。
そうして新天地へ向かい再スタートを切る。
これまで幾度となく繰り返していたやり方だ。
誰も責めはしない、誰も怒りはしなかった。
消えてしまえば何れ想いはなくなってしまう。
どれだけ深く思えども心なんてものは変わる。
存外淋しさには脆いもので、そうして打開策は時薬しかないから。
我ながら狡猾な策を思考すると思ったものだ。

「・・・何?」
「言ったろ、俺。あんたが好きだって」
「え、あの」
「やけに機嫌が悪くて辟易してるぜ、皆な」

それもこれも全部あんたのせいだと吐いた槌矢は
何をどこまで知っているのだろう。そうして何を思っているのだろう。
ゆっくりと槌矢の影が を覆い姿を隠した。
伊武との関係を知っている、この男は知っている。

「あんたは誰が好きなんスか」
「あたし―」
「伊武サンか、俺の知らねぇ野郎か、俺か―」

それとも自分自身か。
そう聞いた槌矢は の髪を優しく撫でる。
答える事の出来ない は只唇を噛み締める。
微かに震えただろうか。そうしてそれは槌矢に知れただろうか。
何れにせよこうも露骨な罠から逃げ出す必要はない。
どうせ逃げ出せないからだ。

「伊武じゃあないわ」
「あんた前も言ってたな、そんな事」
「あたしを好きだって、嘘よ。そんなの」
「酷ぇな」
ねぇ、
理由もなく理解もなく理性もなく。

槌矢の『いつ泣けばいいんですか』続編。
やけに長くなってしまったのは煙病です。
書いてる途中でこんな女は槌矢に似合わない!と
思ってしまい半端な仕上がりに。病気か。