暇乞い



  ちょっと顔かせ、と毎度ながら横柄な口調で五条が声をかけてきたのがつい先刻の事だ。条件反射で嫌なんだけどと返すも、そういうのいらねーから、と遠慮なしに腕を掴み引っ張ってくる。


これはちょっとヤバい感じなのかな?瞬間にそう察知し硝子の方に視線を向けたのだが、当然彼女もそう察していたらしくバイバイと手だけ振られた。


五条は一切の手加減なしに腕を引っ張るもので、いやいや痛いんだけどと振り払う。いーから黙ってついて来いと頭を小突かれる。向かった先は備品室で余計な思い出が疼いた。



「何?」
「お前、何か聞いてんだろ」
「え?」
「傑から」



咄嗟に過ったのはどう誤魔化すかという考えだったのだけれど、相手が五条では逃げるのも難しい。そもそもこの男、どこから聞きつけたのだろう。少なくとも夏油ではないはずだ。


確かにあんたの言う通り、私は夏油と多少親しくはあったけど、そんなに深い仲じゃなかったよ、と返した。ていうかよく気づいてたね、と笑う。そういう感じ全然出してなかったはずなんだけど。六眼ヤバいね。そう言えば、関係ねーよと返される。割とそこら辺、完璧に仕上げてるのによく気づいたなこの男。



「で、何。突き出すの?」
「そんな事したって意味ねーから」
「はあ」
「知ってる事、教えろ」



入口に背を向け五条はそう言う。ああ、嫌だな。この場所で夏油と何回キスしただろう。思い出したくなくて近寄らかった場所なのに。



「疲れてるな、とは思ってたよ」
「は?」
「ここ最近の夏油はすごく疲れてた」



疲れてたというよりも、憔悴していた。二人で会ってもどことなく上の空だし、そもそもの回数が愕然と減った。こちらとしては特に約束事のない関係だから、ああ、もう潮時なんだろうと思っていた。何れ来る予定だったこんな日が思ったよりも早く来たなと覚悟したわけだ。


セックス自体も減ったし、いざ営もうとしても勃ちが悪かったりとかもう散々な有様で、だってこの年で勃ちが悪いとかある!?私は死ぬほどショックだったんだけど、当の夏油はといえばもう完全に上の空で、私はああ、これではもう駄目だな、と思った。


それが梅雨前くらいの出来事。不思議なくらい五条はその事に気づいていなくて、逆にそれが凄く気持ち悪かった。


それから少し時間が経って、あれはいつだったかな。兎に角メールで呼び出しがかかって、私は高専を出て指定されたホテルに行った。高専から そこそこ離れてて、フリータイムが安い割にキレイなホテルで、たまに使ってたとこ。


夏油は先にチェックインしてた。部屋に入るとやあ、とか何とか。覇気のない声で言ってたかな。ベットに座って俯いてたからよく分からない。



「そこで初めて聞いた」
「何を」
「非術師が嫌いだって」
「!」
「ビビるよね、私じゃん」



にはほぼ呪力がない。その事は夏油も当然知っていたはずだ。天与呪縛を背負うこの身体をずっと憎んできた。まさか、ここでも足を引っ張られるとは思いもせずにだ。


の身体には痛覚がない。身体能力は神がかりとまではいかないが、とびきりではある。だけれど本人にその気がなく然程磨かれていないのが現状だ。



『ええと、それは』
『術師だけの世界を作りたいと思っている』
『…』



夏油はこちらを見ない。



『ええと、それってどういう』
『猿どもは全員殺す』



夏油ははっきりとそう言った。私を前に非術師は猿、そう言い切ったのだ。度々セックスをしていた相手を猿呼ばわりとはどういう了見だと思うし、それを面と向かってわざわざ言う気が知れない。


だからといって喧嘩を売っている感じには思えないし、何度も言うように夏油はひたすら憔悴しきっている。



『…て事は、何れ夏油は非術師を皆殺しにするんでしょう?私には呪力がないから、今殺さなくても何れその時には殺されるって話だよね』



私がそう言えば、夏油はそうだね、とこちらを見ずに頷く。そういうところだって。多分私は夏油のそういうところが見ていて堪らなくなるのだろう。


夏油の中でもう決まってしまった事なのであれば、それはもう仕方のない事だ。とても悲しいけれどどうする事も出来ない。この世界は総じてくだらないし、私には夏油のような志も心もない。私は彼のように思い悩む事もないし、何かを変える力も ない。それに考えてもいない。生き様が雑なのだ。確かに五条や夏油程の力があれば、そう望むかも知れないな、と後から思った。



『だったら今殺してよ』
『…』
『「私、夏油になら殺されてもいいよ』



練習だと思って一思いにどうぞ、と言えば困ったように笑う。呼び出してから初めて顔を見た。憔悴してやつれた酷い顔だ。



『止めないんだな』
『止めないよ』
『どうして』
『もう決まった事なんでしょう?』



夏油は、全部、私との思い出も私自身でさえもなかった事にするって決めたんでしょう、と言えば酷く気まずそうな顔をして、だけどやっぱり、そうだな、と言うのだから、ここに来てようやく、これは別れ話なのだと理解した。嘘でしょ。そんな事わざわざ言う?



『真摯に対応したとでも思ってる?』
『すまない』
『だったら殺してよ』
『すまない』
『後か先かの違いでしょ』
『出来ない』
『夏油はずるいよ』
『わかってる』
『私が好きな事知っててさ』



自分でも驚くくらい感情的になってしまって、夏油の前で初めて泣いた。だって、何?非呪術師のいない世界に私の居場所がない事くらい夏油だって分かってるでしょじゃあこれは?この考えうる限り最悪な別れに一体何の意味があるっていうの?何の意味も、



『まだ殺せない』
『…』
『私にはまだ殺せないんだ』



分かってくれと夏油は呟く。いつなら殺せるの。夏油が私を忘れたら?そう返せば、そうだよ、なんて。なんて酷い男。



『まだ好きって事?』
『そうだよ』
『ていうか、夏油私の事好きだったの?』
『ああ』
『そういうの、今言う?』



今じゃないよな、と呟く夏油の顔はやっぱり酷く疲れていて、私はそれ以上何も言えなくなってしまった。


最後の最後にこんな真似をしてくるだなんて、やっぱり夏油は酷い男だ。忘れられなくなる呪詛を私に吐くだなんて。これまでの彼とはきっともうまるきり違ってしまっていて、今思えば私はこの時すでに呪われていたのだろう。



「きっしょ!」
「色恋なんてそんなもんでしょー」
「バカなんじゃないの」
「バカでしょ」



非術師を皆殺しにする時は、夏油が殺してくれなきゃ嫌。夏油はわかった、と言った。彼がご両親を真っ先に手にかけたのは、道を断つ為でもあったのだし、それ以降の煩わしさから解放させる為でもあったのだろう。歪んでいるが彼なりに思うところがあったのだ。


だから今、私は夏油に殺される待ちなんだよねと言えば、マジできしょいってお前。早く新しい男見つけろよ。五条が吐き捨てる。


夏油がいなくなって秋は終わりもう冬だ。彼はいつ私を殺しに来るのだろうか。