積み上げられた嘘





 私はあなたを憎んでいますよとは言った。そんなのわざわざ聞かなくても分かっている事でしょう。そう続けこちらへ向かい構えた。


人通りの多いクリスマスイブの渋谷は若者たちで溢れもうそろそろ終電の時間になる。こんな時間までが何をしていたのかといえば多分に漏れず仕事であり、駅まで歩きようやく今日がクリスマスイブだったのだと気づいたくらいだ。曜日どころか月の概念までいかれていて、その理由が激務だと分かっている。


高専から離れ国の出先機関でお飾り呪術師として働いているはずが、結局のところ仕事は高専経由で回って来るものが大半で事務処理は全てへ回って来る。


この出先機関では世界各国の呪物の扱いを一手に引き受けており、やれ中南米で曰く付きの壺が出ただとか、やれ北欧で運百年前沈没船が引き上げられただとか、そういった時に出向き鑑定をする。一人で行動する事にはなれているし抵抗もない。


高専からここへ就職する際に「呪術師は辞める」と宣言したはずだが、だったら現場から離れその知識を生かせと言う学長の言葉も確かに一理あると思い、こうして完全に内務の仕事を行うに至った。


同期は皆、日々忙しなく呪霊と対峙している。この身はどこにいても呪力を感じるし帳だって分かる。只、だけがそこにいないだけだ。まるで違う世界線を生きている。


極稀に強力な呪いのかかった呪物を高専に届ける事があるのだが、その際には学長初め五条や硝子など、早々たる先輩方から一刻も早い復帰を切望されている。五条に至っては「別に今も大して変わんねーんだろ!さっさと戻って来いよバカ!」と明け透けだ。その都度、五条らしいなと思うし、この人まったく変わってないなと思う。学生自分から何一つ変わっていない。



「五条さんの尻拭いは嫌なんで」
「可愛くなーい!お前そんなだったっけ?」
「社会に揉まれて大人になったんです」
「そんなのに揉まれるくらいなら俺に揉まれとけって」
「はいでた、さいってー」



今度言ったら訴えますよと返したは一つ大きな溜息を吐き、久々に顔を出した高専を見渡す。懐かしい光景だ。


確かに四年の歳月をここで過ごした。多感な時期に親元を離れ数少ない人数で寮生活。最初の頃は慣れずに大変だったな、だとか、ここに入学するに辺り両親を説得するのが大変だったな、だとか思う所は色々だ。


の家は一般の家庭だったので両親は高専の存在も知らなかった。自分達の娘に呪霊が視えているとも思っていなかったのだ。反対するのも無理はない。両親はの事を単純に『思春期にありがちな非行に走った娘』だと考えており、クリスチャン系の学校にて再教育すべきだと考えていたからだ。


住んでいる地域の治安はお世辞にも良いとは言えず様々な犯罪行為が起きていた。祖父が幼いに自らの道場で合気道を教えたのも我が身を守れという気持ちからだった。両親は女の子にそんなものを、と終始反対していたがは祖父が好きだった為、足繁く道場へ通った。結果、それが原因で非行に走ったのだと未だに両親は考えている。


が所謂非行に走った理由は『環境のせい』だ。単純にそういう土壌だった。只、彼女は合気道の極めて優秀な使い手であり、人を殴る事に抵抗のない性分だった。


ぐんぐんと頭角を現していくだったが、それと同時に呪霊とも戦っていた。喧嘩をする相手に憑りついている事が多く、それが憑いている相手は妙な動きをする。命を問わないような真似をしてくる。最初はアンパンでも吸っているのかと思っていたが、どうやら呪霊のせいだと気づいた。奴らは奴らでを視ていたからだ。


最初の数回は触る事も出来なかったが三度目には拳があたった。そのまま体術で呪霊を祓った。本人には祓うという概念はなかったので、彼女は退治した、と考えていた。喧嘩と大差なかった。


が高専のスカウトに目をかけられたのは、彼女の祖父の死が原因だ。ある夏の暑い日、朝練の為に道場へ向かったはそこで倒れている祖父を見つける。道場の真ん中で大の字になって倒れている祖父に近づけば、彼の穴と言う穴から黒いドロドロとしたものが溢れていた。直感で呪霊だと感じ、すぐに祖父の死を理解した。


ドロドロとしたものは祖父の身体を軸とし全貌を現した。後15分も経てばぞくぞくと門下生が集まって来る。ここでどうにかしなければならない―――――


上級呪霊が老人を食い荒らしているという通報を受けていた高専側は一級呪術師を二人その界隈に派遣していた。強い呪力を感じ道場へ向かう。



「…これは」
「あんたら誰」
「キミがやったのか」
「…じいちゃん」



道場へ到着した二人が目にしたのは拳から血を流したの姿で、彼女は二人が到着した瞬間に呪霊の頭を握り潰した。そのまま呪力を吸う。驚愕した二人がの話を即刻高専に伝えスカウトが来る事になったのだ。


は対象の生命活動を停止させた直後に限り対象の呪力を吸収する事が出来た。



~」
「硝子さん」
「お前まだ引き摺ってんのか」
「ええ?」
「あいつの事」



は特級呪術師だった。入学の段階でそう伝えられ、それなりに振る舞ってきたつもりだ。攻撃に全振りしたの力は肉弾戦に特化しており、五条や夏油といった特級の先輩方と組み手を行う事も多かった。



「別にもう今更って感じですよ」
「そうか?」
「もう何年見てないと思ってるんですか」
「5年か」
「流石に色褪せますよ、色々」



同期に一人の男がいた。繊細な男で、のがさつさが嫌で堪らない様子だった。で、その男の神経質な部分が気に入らずあえて雑に扱う。二人の仲は常に険悪で、五条達からからかわれるくらいだった。


は動、彼は静として真逆の戦い方を選ぶ。だけれど互いに実力は認めていた。あの男には背を預けられると思っていた。



「あいつが傑の所に行って5年か」
「夏油さん、元気なんですかね」
「さぁなぁ。元気なんだろうけど」



彼は夏油の離反時から様子がおかしくなった。いや、嘘だ。きっともっと前からおかしかったのだろう。夏油と同じように。


彼は事あるごとに夏油の思想を口にするようになった。高専内では極めてデリケートな問題だ。達がどれだけ諫めても治まる様子はなかった。それどころか任務を断りだし、半年後には高専から姿を消した。置手紙には非術師に対する罵詈雑言と夏油様の元へ向かう旨が記されており、高専内に重苦しい空気を齎した。


最初は憤った。怒りもしたし、まったく理解が出来なかった。そのまま一年が経ち、二年が経ち、心はずっと置き去りで勝手に折れたのだ。怒り続ける事も出来ず、それを認める事も出来ない。


その結果が「呪術師を辞める」だ。あの事の心はまだここにあるのだろう。いつになっても持ち帰る事が出来ない。硝子達もその事に気づいている。可愛い後輩が自身に課された運命から逃げ能力を無駄にしている事を残念に思っている。だから高専には余り来たくないのだ。


その足で事務所へ戻り余計な事を忘れてしまえるように仕事を詰めた。忙しくしていれば考えなくて済む。大人の逃げ口上の一つだが存外有益だ。


そうして今、クリスマスイブの渋谷で夏油と対峙している。彼も驚いていたところを見るに偶然だったのだろうか。いや、この男に限って偶然などあり得ないはずだ。



「キミ、現場からは随分遠ざかってるんだろう?」
「…」
「組手で私に勝った事、あったっけ?」
「ありませんよ」
「だよね?」
「何の用ですか、今更」
「うーん、そうだな」



キミが一度でも組手で勝てたら教えてあげるよ、と夏油は言った。ダウンを脱ぎストレッチを始める。「私が勝ったら?」そう返せば「彼の事を教えてあげよう」そう言われ思わず手を出してしまった。カッとなりバカな真似をした。お前のせいで変わってしまった彼の話を、少なくともお前はするな。



「じゃあ、私が負けたら」
「仲間になってよ、
「…はっ?」
「私達も淋しくてね、キミがいいんじゃないかという話に―――――」



危ないじゃないか、人の話は最後まで聞かないと。踏み込んだ足を軸に振り上げられた腕は軽くいなされ、夏油の突きが直撃した。ふらつきながら辛うじて耐える。彼はまるで本気でない。本気であれば鎖骨位簡単に折れていた。



「まあ、通り魔みたいなものだと思って諦めてさ」
「私、あなたを憎んでるんですよ夏油さん」
「知ってる」
「彼を返して」
「彼に恋人がいても?」
「…!」
「ほら、ガラ空き」



夏油のリーチは長い。目と鼻の先にある彼の唇が半円を描いた瞬間、鳩尾に強烈な一撃を喰らい膝を突く。最初から分かっていた。私はこの男に勝てない。


街は騒めき至る所から嬌声が聞こえる。終電も行ってしまったね、と夏油が言った。イルミネーショに照らされた夏油はまるで神様のようで腹が立つ。こんな人工的な輝きを後光に変えて膝をつく私を救おうとでも言うだろうか。