背中を走るあまい氷





  この数年彼氏という存在に縁がなかった。学生時代はいたりいなかったり、まあでもあの頃は誰かとちゃんと付き合うというよりも楽しい事を沢山経験したくて、所謂お金持ち相手の合コンだったりパパ活をやっている友達が開催する謎のパーティに呼ばれたりと、そんな暮らしをしている内に西麻布のラウンジでバイトをするようになった。

 正直な所、そこで働く事が出来る女だという称号が欲しかっただけに過ぎない。のだけれど、そこで働く内に又してもお金持ちの知り合いだとか良くない遊びだとか誘惑は山ほど襲って来るわけで、我ながら散々な暮らしを謳歌しつつ就活と共に縁を切った。

 はずだったのだけれど、一度味わった甘い汁は中々忘れる事が出来なくて就職して一年半。多少仕事にも慣れた辺りにこっそり復帰してしまった。昼職、給与が安すぎる。覚悟はしていたのだけれど想像を絶した。

 学生時代溜めに溜めた貯金を切り崩すストレスから逃れたく昔働いていた店のオーナーに連絡をして他店の紹介を受けた。女子大生という肩書のなくなった瞬間に時価が下がるとはとんでもない世界だ。現役時代の時給から比べると遥かに落ちるが仕方がない。本業があるので出勤回数もそう増やせないだろうし、自由出勤の出来る店を紹介して貰った。

 最近オープンしたばかりのイケメンオーナーの店で、面接後即体入出来た。出勤したい日にはLINEして。という滅茶苦茶緩いルールで、それ以来、昼の仕事が暇な時には顔を出すようにしていた。

 まあ、そんな暮らしをしていれば当然彼氏なんて出来ない。会社の飲み会なんて金にもならないからそもそも出たくないし、同僚から誘われ向かった合コンも気が乗らない。自分自身の問題だと分かっている。完全に望みが高い。その辺のリーマンに興味が持てない。ああ、いけない。これでは学生時代の二の舞だ。

 そうこうして2年だ。彼氏が、出来ません。

 まあものの見事に彼氏が出来ない。好意を抱かれた相手とデートをしてもこちらが好きになれなくて終わるし、そもそも好きな相手が出来ない。合コンに行っても知り合いを紹介されてもこちらの気が乗らず話が終わってしまうので居たたまれず途中からお断りする事にした。

 理想が高いだとか一回付き合ってみたらいいのに、だとか雑音が大き過ぎるからだ。そんな事は重々承知だ。自分の事くらい自分が誰より理解している。ラウンジでお茶をひきながら店長やオーナーに愚痴って終わりだ。

 そろそろお前もそんなんじゃヤバいんじゃねーの、と相変わらずイケメンで名を馳せる『CLUB ∞』オーナーである五条悟は言う。いやヤバいよそんなん超分かってるんだけど、そう返せばウチ、解雇あるからね、と尚更手厳しい。傷口に塩をこれでもかと揉み込んで来る男だ。



「オーナー、顔以外本当最悪ですよね」
「はは、よく言われる」
「性格クッソ悪い」
「でも顔がいーんだよねー」
「自分で言う!?」



 でも確かに顔が良い。この西麻布界隈でもトップクラスのイケメンだ。スタイルも合わせ夜の港区でもとびきりだろう。噂によれば実家も相当金持ちらしく、こんなラウンジのオーナーをしているのも暇潰しらしい。

 は?どういう事?傲慢な金持ちの遊び?



さん」
「七海店長!」
「ご指名ですよ」
「はーい」



 でも確かにオーナーの言う通りそろそろこんな生活も潮時なのだ。当然ながら若く新しい子は次々に入って来るし、甘い汁を啜れる時代は永遠ではない。初見の客は遊び慣れたような風体の若い男で外資系の金融で働いていると言っていた。

 その男は に『出会いが欲しいならこのバーがオススメだよ』ととある会員制のバーを紹介してくれた。誰にも聞かれないようにこっそりと耳打ちしながらだ。『僕の名刺を渡せば入れるから』その男の言葉を真に受けたわけではないのだが、次の土曜の夜、そこへ向かった。この辺りは実際、会員制のバーなんて山ほどあるし、芸能人御用達といった店も多い。そこで、夏油と出会った。

 男の名刺を見せれば確かにすんなり店内へと入る事が出来て席に案内された。カウンターしかない小さな店で、バーテンとの間に仕切りのある変わった造りだ。その店に一月程通った。毎度、そこに来る男が声をかけてきたが何となく気が乗らずお話だけで終わる。


 夏油と出会った日は珍しく 以外には誰も居なくて、少しの間顔の見えないバーテンと他愛もない会話を紡ぐ。そんな時に夏油は来た。



「夏油様、いらっしゃいませ」



バーテンがそう言った瞬間こちらも視線を向ける。少し長めの髪をハーフアップにしている男で背は高い。見た目にもすぐ分かる程いいスーツを着ていた。

 切れ長の目は一瞬にしてこちらを捉えやあ、と声をかける。夏油は の隣に座り、初対面だというのにやたら熱心に口説いてきた。流石に怪しい。



「誰にでもそう言ってるんでしょ」
「まさか、キミにだけさ」
「調子いいんだから」
「実は、何回か見かけててさ」
「え?」
「ここで」
「そうなの?」
「いつも誰かと話してるから、中々話しかけられなくてさ」



 意外と奥手なんだぜ、と笑う。正直、その仕草に堕ちた。可愛いな、と思ってしまった。羽振りもよさそうだし見た目もいい。これを逃すバカはいないだろう。こちらも必死に隠してはいるが切羽詰まっている。流石にその日は避けたがLINEは交換したし、夏油はその日、別れてすぐに初デートの誘いを送って来た。

 こちらがOKを出したのは三回目のデートの時で、自分でもおかしいくらいすぐに付き合ったなと思う。夏油は港区のタワマンに住んでいて独身。×もないらしい。自分で幾つかの会社を経営していると言っていた。










■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■










 夏油は完璧だった。エスコートも完璧だし兎に角優しい。デートに金は惜しまず毎回一流のデートプランで をもてなす。大学時代に同期のパパ活女から頼まれ顔を出したモンシェルトントンやらいもん、カンテサンスに我が物顔で入っていく。会話も上手く常にこちらを気遣う徹底振りだ。完璧だ。完璧すぎる。

 だけれど、そんな完璧な夏油にも少しだけ性急な部分があった。やたらと同棲をしたがるのだ。今思えば最初のデートの時から彼女が出来たらすぐにでも一緒に住みたいな私は、と言っていた。確かに言っていたし、 で、へぇ、そうなんだ、と軽く流していたのだけれど流石に同棲はまだまだ全然早くない?!

 だって多分私はまだこの男に恋をしている状態にも陥っていない。良い男だな、だとか素敵だな、ときめくな、と思っている所謂『憧れ』の段階だ。そんなふわふわとした気持ちの時に同棲だなんて極めて現実的なワードを放り込まれては気持ちが醒めてしまう。

 とりあえず「まだ付き合って日も浅いし、私まだあなたのこと何も知らない」と返し保留にした。よし、セーフ。と思ったのもつかの間、二人で歩くイルミネーションの下でこちらを見下ろし抱き寄せながら「だけれど、私がキミに同棲をお願いする事は許してくれないかな」だなんて、じっと目を見つめながら言ってくる。その手があったか、と感心さえした。

「キミがその気になるまで何度でもお願いするから」この男、これまでどんな生き方をしてきたらこんな真似が出来るのか。だってこんな嘘みたいなシチュエーションに嘘みたいな台詞だというのに、こちらは死ぬほど時めいている。いいよ、と笑って返した途端、ありがとう、と抱き締めて来る。これ、何chのドラマ?今、この映画クライマックス?そのくらいの熱量だ。

 だけれど、まあ夏油と別れればすぐに現実が襲いかかるもので、そんな時めきも自宅マンションに戻れば消え失せる。割と秒だ。こんな己がダメなんだろうと分かっている。夢心地が継続しない、夢を見る事が出来ない哀れな女なのだ。同棲はちょっとしんどい。いや、大分しんどい。マジでそれはしんどい。

 一人の時間がないと厳しいし、学生時代からずっと一人暮らしをしているから自宅がマジで最高。この部屋だって自分が好きなもので飾った最高の城だし、やっぱり今更誰かと暮らすっていう想像がつかない。よし、とりあえずやめよう。そう決めた。










■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■










 そう決めて半月ほどだ。夏油は顔を合わせる度に相変わらず同棲の打診をしてくるがその都度のらりくらりと交わす。最初の頃は罪悪感があったが、それもすぐになくなった。そう。私は最低な女なのだ。この頃になると他にも気になるところが出て来た。

 夏油は1時間に一度必ずLINEをしてくる。経営者は流石、時間に余裕があるな、と思っていたのだけれど、彼はこちらが返事をするまで延々と入れて来る。こちらは普通に仕事をしているわけで、会議などでスマホを触る事が出来ない時もある。会議終わりに同僚とランチに行った先でふとスマホを見ると『未読のメッセージが30件です』は流石にビビる。それが毎日だ。二人で会っている時の夏油と落差がありすぎて困惑する。

 これはちょっとマズいんじゃないかと思い、少し距離を置こうと仕事を理由に会う頻度を抑えるも、今度はそんな会社辞めたらいいのに、と言い出した。『辞めてうちで暮らせばいい。私が面倒をみるのに』最初は冗談かと思っていたが、どうやら本気らしい。この辺りで本格的にヤバいと気づいた。えっ?遅いって?マジでしょ…。

 仕事が忙しいと言った頃くらいから、私が迎えに行くよと言い出した夏油は言葉巧みに私から職場の情報を聞き出し、まさかのお迎えサプライズを決行した。同僚と飲みにでも行こうぜ、と定時に退社し、エレベーターを降りる。

 入口の辺りが何やら騒がしいなと思っていれば夏油がいた。夏油がいた。思わず立ち止まる。えっ、何で!?思わず逃げようとした心境は分からない。危機管理能力が高いのだ。

 そんな を見つけた、というか恐らく彼はこちらがエレベーターから降りて来た段階で捕捉していたのだろう、 、と名を呼んだ。一斉に周囲がざわつく。

 当然彼氏が出来たなんて話も職場ではしていない。嘘でしょ。言葉を失った の前に来た夏油は、迎えに来たよ、と言った。え、どういう事。 がそう返すも、それを遮るように興味津々でこちらの様子を伺っている同僚たちに挨拶を始める。

 初めまして、 がいつもお世話になってます。いや、いやいや。こっちの方が私と付き合い長いから。そう思うも、同僚たちは夏油に夢中だ。

 いや、分かるよ。私もそうだった。この男、人当たりが滅茶苦茶いい。

 残業だから、という の嘘は言及されず、だけれどそのまま夏油の車で帰る事になった。乗っている車もマセラティだ。



「……何で職場知ってるの」
「キミが教えてくれたじゃないか」
「教えてないけど」
「教えてくれたけどな」



 そこでハッと気づいた。職場の周囲にある飲食店や同じビルに入っている他の会社の話をした。近隣のコンビニやオフィスから見える景色の話。ここで相当マズイと思ったのだけれど、今まさにマズい男が運転している車に乗っている。逃げられない。

 車はそのまま、都内の某ラグジュアリーホテルへ吸い込まれた。夏油は何も言わない。いつもと同じだ。手を引かれホテル内の高級レストランへ向かう。そこで初めてプレゼントを貰った。箱を見ただけで分かる。超高級品だ。このタイミングで何故。そう思う。

 夏油が渡してくるのはハリーウィンストンやブシュロンのアクセサリーで、確かに平時であれば喉から手が出るほど欲しいのだけれど、このタイミングで夏油から貰ってしまえば逃げられなくなると思わせるに十分の品だ。頭の中で差し引きし断腸の思いで断っても、どうしても貰って欲しいんだと聞かない。人目も気になるしこんな場所で押し問答は流石に恥ずかしく が折れる形で結局受け取ってしまった。

 しかも夏油はそれをすぐにつけて欲しがる。後からこっそり返そうと思っていた の浅はかな考えなど御見通しだと言わんばかりだ。よく似合うよ。 に似合うと思って選んだんだ。ニコニコと笑いながら彼はそう言う。

 その日を契機に、顔を合わせる度に毎回、彼は何かしらのプレゼントを持参するようになった。そうなると何となく夏油と会う時には貰ったアクセサリーをつけなければならないという強迫観念に駆られる事になる。いつ呼び出しがかかるか分からず(何せ職場バレもしているのだ)毎日貰ったアクセサリーのどれかを付ける事になり、単純に怖くなってしまった。アクセサリー入れはすぐにそれなりの貯金程度の金額で埋め尽くされた。










■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■









「お前男出来たの?」



 珍しく夏油側からこの日は仕事で会えない、と言われた三日間があった。この頃にはすっかり疲れ切っていた はここぞとばかりにバイト先で羽を伸ばしていた。やはりこういう排他的な生き方が私には似合っているのではないか。そんな事を思っていれば、五条が前触れもなくそう聞いて来て驚いた。



「え、なんで」
「そのピアス、お前の安月給じゃ買えねーだろどう考えても」
「キモっ」



 普通の男じゃないだろうな、と思いながら話を続ける。



「どこで会ったんだよ、そいつと」
「えー」
「は?何お前、出し惜しみとかすんの」
「や、客じゃないんだけどさ」
「言えって」



 とある客に紹介された会員制のバーの名前を出せば「あー、そこ知ってるわ」と凄く嫌な顔をされた。てかお前、客のそういう話に乗んなよバカ。言われるだろうなと予想していた言葉を頂戴しつつそこで出会った男の人とお付き合いしてます、と言ったところで指名が入り話は中断した。

 五条もそこまで興味がなかったのだろう。二度その話題が出る事なく、三日間の自由を満喫した を待ち構えていたのはこれまで以上の束縛であり、間が悪い事にその頃、住んでいる駅周辺で事件が頻発。若い女性宅に男が侵入し乱暴を働くというもので、そのニュースを耳にした夏油はより強く同棲を求める様になった。

 いよいよ仕事を理由にするしかなくなり、暫く繁忙期の為会えない、会社にも来ないで、こっちから連絡するからと一方的に連絡を遮断し距離を取った。強硬手段に出る他なかった。当然ラウンジのバイトの事は夏油には言っていない。このままだったら気が狂ってしまうと、定時退社でラウンジまで向かう。



「あの時、途中だったんですけど今マジでヤバくて」
「は?何の話?」
「彼氏の話」
「あー、言ってたなそういや」
「もうそんな感じじゃないんですって」



 五条に相談するも、別にいーんじゃねーの、結婚しろ、と話にならない。いやいや、もう単純に面倒くさいだけでしょオーナー。



「嫌なんだけど、ていうか怖くない?私マジで迂闊だったわ」
「何がそんな嫌なのお前」
「外堀から埋められてく感じがして怖い」



 その話を隣で聞いている七海も口を開く。



「あなた、言ってないんでしょう?ここで働いている事」
「言ってないよー殺されそうじゃん」
「言ってしまえばどうです?」
「ええー!?」
「それはアリかも」
「本当??」
「だってそいつ、お前に滅茶苦茶お熱じゃん?お前がこういう仕事してるって知ったら興味なくすんじゃね?」
「そういうもんなの?」
「独占欲の強い男はそうでしょうね」
「ナナミンは?」
「何ですか出し抜けに」
「そういうの全然なさそうだよね」
「僕は?僕は?」
「オーナーはなんか、いいわそういうの……」



 よし、ここでバイトしている事を言って振られようと思い一先ず心を落ち着ける事に成功した。それからバイトに勤しんで、丁度キリもよく翌日も仕事だという事もあり、その日は0時で店を上がる事にする。この時間ならまだ終電に間に合う。普段であれば送迎をお願いするのだけれど、今日に限って電車で帰ろうと思ってしまったのだ。

 店を出た瞬間、声をかけられた。夏油。驚きすぎて声が出ない。なんでここにいるの?



「何してるんだい、こんな所で」
「バイト……」
「私は聞いてないけど」
「言ってない、けど」



 謀らずともバイトバレするという目的は達成されたのだけれど、ちょっと待って思ってた感じと違う。え?怒ってる?終電で帰るから、と逃げようとする の腕を夏油が掴んだ。



「話はまだ終わっていないよ」
「え、あの」




 すわ痴話喧嘩かと道行く人々が遠巻きにこちらを見ている。いや今まさに痴話喧嘩が始まりそうなんですけどこちとら見世物でも何でもないわけで、この窮地をどう抜け出したらいいのかまったく予想がつかない。少なくともこの界隈で今、最も目立っている。振り返れば五条と七海がこちらを見ていた。煙草を吸っているようだ。助けてよ!と口パクで伝えるも、笑いながら手を振られる。

 死ね、オーナー!



「五条さん、あなた知ってたんでしょう」
「あいつもバカだねー」



 あれはもう無理でしょ、と五条が笑う。夏油に連れ去られる を二人で見送った。










■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■










 すぐ側のパーキングに駐車してあった夏油の車に乗せられ、無言のまま彼の住むタワマンへ連行された。車内は無言で、夏油が何か話しかけて来るわけでもなく、こちらも特に言う事がない。弁明も何もする気などそもそもないし許しを請う気もない。確実に終わりを迎える展開だ。

 別れ話なんて湿っぽい事はせめて週末だろう。少なくとも翌日に仕事を迎える今に行うべきではない。明日の予定を頭の中でざっくりと並べる。この感じでは朝までかかるのだろうか、だとか港区からタクシーで帰るにしたってどうする、だとか色んな皮算用ばかりが浮かんでは消えた。

 そもそも の予定では『ラウンジで働いていた事を夏油に告げる』→『そんな女だったなんて軽蔑した』→『振られる』という流れで片が付くはずだったのに、えぇー何この展開めっちゃ怖いんですけど。

 車はすぐタワマンに到着し駐車場へ吸い込まれる。そこからエレベーターに至るまで全て無言。無言の癖に逃走防止の為なのか手は握られている。

 こんなに怒る……?マジで……?ていうか怒ってるのにこれってどういう事……?繋がれた手をじっと見つめながらエレベーターを降り部屋へ向かう。ここから長い夜が始まるのか、と覚悟を決めた。でもこれはやむなしの展開だ。

 出来るだけ穏便にすみますように、と祈りながら部屋の中へ入った瞬間、夏油がいきなり抱き締めて来て驚いた。

 えー?何何???これ何?どういう感情!?

 夏油の力は強い。ぐっと力を込めより一層強く抱き締めて来る。そうしてゆっくりと息を吐いた。



「どうしてこんな真似をしたんだい」
「いや、バイトだし……」
「私を妬かせる為?」
「や、そういうんじゃ」
「私が甘かった」



 夏油の腕はびくともしない。



「お前可愛さに甘やかしすぎたね、反省しよう」
「え、なに」
「これでもキミの意思を尊重しようとしたんだぜ、この私が」
「え?」



 バカな真似をしたよ、と夏油は笑った。 を抱き締めたままだから、彼女には耳の後ろの辺りから聞こえた。次の瞬間、身体が宙に浮き夏油に抱え上げられたのだと気づいた時には寝室のドアが開けられていた。

 いやちょっと、この展開は予想していなかった。別れ話どころの騒ぎじゃない。悠々と片手に を抱えた夏油はそのまま彼女をベットへ落とした。唖然とする をそのままにベットサイドテーブルの引き出しを開け何かを取り出している。

 混乱の最中、寝室のドアを見るも夏油がリモコンキーを向ける。電子ロックのかかる音が響く。閉じ込められた。あのリモコンキーがなければドアは開かない。どうする。どうする。何が正解だ。夏油を刺激しないよう身動き一つせずじっと彼の動向を伺う。

 夏油がチラリとこちらを見た。引き出しから取り出したピルケースから中身を取り出す。黒い小さな錠剤だ。私は、あれを知っている。

 夏油の持つ黒い錠剤は通称『黒玉』と呼ばれるもので、この数年港区周辺に蔓延しているドラッグだ。あの黒く小さい粒を一粒飲み込めばすぐに効果が出る。



「これ、知ってるかい」



 私はそれを知っている。黒玉は単価が高い、所謂セレブドラッグだ。学生時代にクラブで黒玉を盛られた女がVIPルームに連れ込まれ男たちに輪姦される乱行パーティーを幾度も目撃した事がある。だからきっと顔色が変わった。その変化を夏油は見逃さない。知ってるのか、と呟き大げさに溜息を吐いた。



「がっかりだよ。 。こんなものを知ってるだなんて」



 夏油から距離を取りたいのだけれど、彼の手は の右足首を掴んでいる。やだ、やめて。そう言えば、流石に使った事はないよな、と笑った。何度も頷く。知らぬ間に涙が零れていた。この、目の前の男が恐ろしくて。



「どうしたんだい 。泣いてるじゃないか」 「……!」
「何か恐ろしい事でもあったのかい」
「来ないで」



 夏油がベットに乗った。スプリングが一層深く軋む。 の足首から這いあがるように近づいて来た。指先で の涙を拭い頬に口付ける。掌を重ねシーツに押し付けながら覆い被さった。涙でぼやけた視界で夏油を見上げる。唇の間に黒玉が見えた。

  はいやいやと首を振るが、唇に舌を這わせ無理矢理ねじ込む。吐き出したいが夏油の舌がそれをよしとしない。舌の上で散々転がされ僅か溶けた錠剤が喉の奥に押し込まれた。コーティングとして使用されていた人工甘味料の嫌な甘さが口の中に広がる。錠剤が押し込まれた後も夏油の唇は を許さず互いの唾液を味わい尽くす。舌先が僅かに痺れ始めた。ゆっくりと嬲るように口の中に舌を這わせる。

 夏油はこの黒玉の生産販売を一手に引き受け、所属している組の稼ぎ頭として活躍する所謂経済ヤクザだ。会社を複数経営しているのも事実になる。東南アジアで黒玉は生産され、幾つかのダミー会社を経由しヨーロッパへ流している為、日本国内よりもそちらの方に蔓延し逆輸入で国内に流入していた。故に希少価値が高く、最近では各国を渡り歩くDJが持ち込む事が多いらしい。

 薬の効果はすぐに出始めた。夏油が唇を離した時にはすっかり瞳孔が開き半開きの唇からは唾液が垂れている。すっかり動きの鈍くなった を見て満足したのか夏油が身を起こし上着を脱いだ。回らない頭でぼんやりと見つめる事しか出来ない。全身から力が抜けていくようだ。

 夏油が上着に続きYシャツも脱いだ。こちらに背を向ける。唐獅子牡丹。きちんと色まで入っていた。それを目にしてああ、と思う。そうだったのか。だけれど薬効により身体は動かない。意識もハッキリしない。夏油がこちらを見た―――――









■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■









 翌朝目覚めればキングサイズのベットの中には素っ裸の だけで、夏油の姿はどこにもなかった。やけにこめかみの辺りがズキズキと痛み頭を抱える。昨日の事を思い出そうにも不思議なくらい記憶がない。深酒をした時のような喪失感だ。

 それと同時に時間を確認したくてバックを探す。ベットサイドのキャビネットの上に置いてあった。中身は無事だ。携帯もある。服を着て今の内にと逃げ出した。

 おぼろげに思い出すのはあの薬を摂取する前後の記憶で、捕まえたタクシーの中で黒玉の副作用を必死に検索する。それと同時に思い返す夏油の背中。唐獅子牡丹。あんな入れ墨を背に入れているのだ。マトモな男ではない。反社の二文字が脳裏を過る。ラウンジにもその手の輩は頻繁に顔を出していて、賢い自分は距離を取っているつもりだった。まさか自分が関係を持つ事になるとは夢にも思っていなかった。

 頭の中でぐるぐると色んな情報が回るのだけれど一つとして纏まらない。携帯をもう一度見る。(因みに副作用に関してはこれといった情報が出て来なかった。だからと言って病院に駆け込むわけにもいかない)時刻は13時過ぎ。最悪だ。  どうにかフレックスタイムを使い誤魔化せるか。コアタイムは16~18時だ。これから家に帰ってシャワーを浴びて化粧をして。そんな事を考えていればタクシーがようやく自宅マンション前に到着した。料金を支払い部屋へ向かう。



「……はっ?」



 部屋はもぬけの殻だった。玄関に鍵がかかっておらず、嘘でしょうと開けば中はまさにがらんどう。荷物は何一つない。本当に文字通り何もない。余りの光景に唖然とした。物取りにしたってもう少し何か置いていくだろう。土足でリビングだった部屋へ駆け込む。何もない。寝室は?ない。クローゼットを開ける。何も、ない。全ての部屋を見て回ったのだが一切何もなかった。

 状況に頭がついて行かず思わずへたり込んだ の手の中でスマホが鳴った。会社の同僚からだ。こんな状況にも関わらず遅刻の言い訳をしなければならない、すぐにそう思った。あたかも最初からその時間に出勤するつもりだったという体で―――――



『結婚するなら早く言ってよー!』
『は!?』
『素敵な旦那さんじゃん、死ぬほど羨ましいんだけど!』
『ちょっ、何の話』



 相手の言っている言葉の意味が一切理解出来ず、まだ痛むこめかみを押さえながら目を閉じた。もう一度言う。ごめん、何の話。同時に目を開けば視界の先、玄関に夏油がいた。壁にもたれかかりこちらを見ている。 と目が合った瞬間こちらへ近づいて来たので思わずスマホを落としてしまった。目前で立ち止まった夏油がそれを拾い上げ通話を切る。



「ここはキミのいるべき場所じゃないだろ」
「!!!」
「荷物はトランクルームに入れてあるよ」
「えっ!?」
「ここは治安が悪いからね」



 こうして勝手に引っ越しまでされてしまう。散々言って聞かせたはずだけどね。夏油はそう言いながらポケットから何かを取り出し の目前に差し出し指を離した。キーケース。半月ほど前に失くしたと思っていたキーケースだ。


「なに、」
「そうそう、退職届も出して来たよ」
「……は?」
「キミの会社の社長とは懇意でね。お祝いの言葉も頂いたんだ」



 さっきの電話は、大方同僚からのお祝いの電話だったんだろう?だってキミ、おかしいと思わなかったのかい。連絡もなしに休んだ社員に半日も連絡しないなんてありえないさ。ぐっすり眠っていたし、私は優しいから起こさなかったんだ、と続く夏油の言葉が宙に浮かびそこら中を埋め尽している。

 余りに驚くと人は言葉を失うものらしい。夏油の言っている事は荒唐無稽だが恐らく事実なのだろう。だからこそ理解が出来ない。彼はこれまでと一切変わらない様子でそこにいる。柔らかい物腰に僅か笑んだ口元。それなのにどうやら状況は昨晩から一変した。取り返しは、つかない。

  の退職が異例のスピードで受理された背景には当然、夏油が絡んでいた。夏油は の同期のとある男性社員を早々と抱き込んでいた。 の退職後、彼女の案件は全てその男に移動する。

 彼女の職場に顔を出したあの一瞬だ。あの一瞬で顔を覚え素行を洗った。人間関係を調べる内に、 の同期である一人の男に白羽の矢が立つ。 とその男は所謂ライバル関係にあり、次の人事でどちらかが昇進すると言われていた。

 夏油は仕事でたまたま の務める会社へ出向き、元々交流のあった社長に挨拶をしたまでだ。そこでうっかり、自身のプライベートな話を零してしまった。近々結婚しようと思ってるんですよ。私もそれなりの年齢ですしね。ああ、どうですか?結婚について一言、二言ありますか社長。彼女、 ―――――ああ、そうです。恥ずかしいな。彼女は社長のところでお世話になっているんですよ。

 そうして徐に黙り、社長の言葉を待つ。実は。今度事業拡大の為に海外へ進出する予定なんですが、彼女も同行したいと考えているんです。数年かかる大きな事業になるのでね。だけれど、責任感の強い彼女の事だ。すぐに仕事を辞める事は出来ないと、まあ至極当然な事を言う。

 別にこの社長は夏油のその依頼を真に受けたわけではない。只、夏油の言う『事業の拡大』に興味があっただけだ。社長はすぐに の直属の上司を呼び彼女の状況を聞いた。幾つかのプロジェクトを進行させているので急には難しいですね。そう言い終わるか否かのタイミングであの男が乱入して来る。

 僕が全て引き受けます。実は彼女から内々に相談されていたんです。大丈夫です、引き継ぎも全て終わってるんですよ。彼女も旦那さんについて行きたいって言ってましたから。何も心配しないで下さい。有休も随分溜まってるって聞いてます。すぐ消化に入ったらどうですか。後の事はお任せください。何の心配もいりませんから。

 男は資料まで持参し渾身のプレゼンを行った。気持ちが先走り過ぎていてヤラセ感が強かったがまあ及第点というところか。



「あいつに奪われたって事……?」
「そうなるね」



 ありえない、と呟いた。あんな男に上手い所だけ掻っ攫われただなんて許せない。企画から私が温め育てたプロジェクトも全てあんな馬鹿男に奪われたのか。



「後日、本人の口から退職の話が出るとも言ってるからね」
「ふざけないでよ」
「おいで、
「……」
「お前はまだ自分の立場が理解出来ていないようだね」



 夏油がスマホを操作し、すぐに のスマホが何かを受信する。動画だ。この時点で嫌な予感がした。開く事に抵抗があり再生ボタンを押せないでいる。



「早く」
「……」
「早く再生しないと拡散してしまうよ」



 震える指先が再生ボタンを押した。数秒再生しすぐに止める。



「……さあ、帰ろうか」



 夏油が手を伸ばす。唖然としたまま、その手を取らざるを得なかった。









■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■










 夏油の運転する車の助手席に乗ったまま、例の動画を見せられている。よく撮れてるだろう、と夏油は言った。確かにそれはそうだ。動画の質はとても良い。画面の中の女は夏油に跨り自ら腰を振っている。弧を描くように回し喘ぎ、仰向けになった夏油と手を繋いでいる。私だ。これは昨晩の私だ。失せた記憶が徐々に牙を剥き始めた。

 黒玉の性質上、効き始めは感覚がぼんやりとし時間の流れが緩くなる。目の前で服を脱いだ夏油の背を見ても不思議と恐れる気持ちにならず只、そういう景色なのだと思った位だ。

 僅か半開きになった の唇をなぞりながら口の中に指が侵入して来る。一本、二本。中指と人差し指で の舌を挟み口内をぐちゃぐちゃと掻きまわす。夏油の指は太く長い。口の中を二本の指が掻き回している間に舌の感覚が急に戻って来た。いや、戻って来たのではない。より敏感になった。

 舌だけでなく全身の感覚が研ぎ澄まされ僅かな刺激にも耐えきれなくなっている。これが黒玉の効果だ。故にセックスドラッグと呼ばれる。舌を弄ぶ夏油の指の感触さえ酷く甘美なものに変わり、ちゅうちゅうと吸い付きながら身を震わす。夏油がにこりと笑った。彼は薬が全身に回るまで指を舐めさせ待っていた。

 もういいよ、と囁き指を抜く。 の舌が名残惜しそうにそれを追った。指先と唇の間に繋がる唾液の線を見つめる。もうこの頃にはすっかり身体は出来上がっていて、自分でも分かる程熱っぽい目で夏油を見つめ、ゆっくりと夏油の性器に手を伸ばした。反り返った性器に指を這わせ返答を待つ。夏油が枕を数個重ねそこにもたれかかった。許されたかのように舌を這わせる。



「……嘘」
「キミ、意外と上手いんだぜ」
「嘘でしょ、こんな」



 動画の中の自分は熱心に舌を這わせ夏油の性器を嬲っている。こんな事は知らない、こんな自分は知らない。これまでも碌々フェラなんてやっていないはずだ。だって男に奉仕なんてしたくない。きっと私はこれまで誰の事も好きになった事がない。だから、こんなに愛おしそうに男の性器を咥えている女が自分だなんて認める事が出来ない。あり得ない、画面から目を離せない。

 画面の中の自分は夏油の性器を舐めしゃぶり腰を揺らしながら強請っている。これが、私なのか。この男に媚び諂い強請るこんな女が。



『おいで、
『傑ぅ♡』
『自分で挿れて』



 画面の中の自分は甘えた声で夏油の事を傑と呼んでいる。いや、知らない。この男の下の名前って『傑』だったの。知らないんだけど。

 夏油に跨った はつい先ほどまで口に含んでいた夏油の性器を片手で支えながら腰を落とす。夏油の性器は大きいので一気に挿れる事が出来ない。膝でタイミングを取りながら一度二度腰を上下させた。ようやく全てが収まったのか、夏油が の手を取り動いて、と囁く。酷く甘ったれたような喘ぎ声を漏らしながら女が腰を動かし始めた。



『あっ♡あっっ♡♡傑ぅ♡傑ぅっ♡♡』



 思わず手で口元を押さえた。これは私なのか?本当に?夏油が上半身を起こし体面座位の形になった。抱き締め合い唇を貪る二人を見ながら心が渇く。喉が渇いた。



『私の事、好き?』
『好きっ♡好きぃっ♡♡』
『私も好きだよ』
『あっ♡あっ♡だめっ♡♡♡』



はさ、好きって言うとすぐイくんだよ」
「うるさい」
「本当のキミはこんなに素直なのにね」
「やめて」
「どうしたんだい?それ、キミだろ」
「薬のせいでしょ、こんな」



 画面の中の男女はまさに相思相愛といった様相でセックスを続けていて、傍から見れば単なるハメ撮りなんだろう。こんなのが、私のわけ、ない。



「……まあ、初めてじゃないからね」
「えっ?」



  が知らないだけで黒玉を摂取してからのセックスは数度目になる。最初に使ったのは、確か が同棲を断った日。理性の箍を外せば彼女は与えられる快感に従順になる。潜在意識の底にまず叩き込む。まず身体を抗えなく操作する。 自身にはまだ自覚がない。



『……どうする?』
『中ぁっ♡中に出してぇっ♡♡』



「……は!?」



 黒玉を使ったセックスの時は必ず中に出している。この三ヵ月はそうだ。当然、 は知らない。画面の中、中出しをせがむ自分自身を信じられないといった様相で見つめる彼女は美しい。自我が崩壊していく様子が手に取る様に見える。誰よりも高い自尊心がいとも容易く崩される。この瞬間を心待ちにしていた。ああ、やはり私は を愛している。

 車はそろそろマンションに到着する。動画は終わったが は無言のまま黙りこくっている。それどころではないのだろう。それはそうだ。当然だ。カーブを曲がりながら助手席の様子を伺う。

 単純に血の気が引いた。待って。最後の生理はいつだった?元々不純気味なので気にもしていなかった。セックス時には必ずゴムを使っていると思っていたからだ。フリーセックスだってしていない。

 ちょっと待ってよ。ありとあらゆる可能性を考える。あれが初めてだとは思えない。これまで考えてもいなかったから気に留めてもいなかった。この男と付き合い始めて半年と少しだ。どうする。どうしたらいい。

 車は夏油のマンションに着いた。そのまま車を降り部屋へ向かう。 は未だ何事かを考えているようで無言だ。帰る場所もない、仕事もなくなった、頼る相手もいない。そんな彼女に果たして何が残されている?私以外に。部屋に着いた。



「ああ、そうだ
「……」
「キミ、生理周期が不順だよね。今度一緒に病院へ行こうね」
「―――――!」


 その瞬間、限界を迎えた が口火を切った。一瞬にして頭に血が上った。これ以上私の中を土足で踏み荒らさないで。廊下に立つ夏油に向けて手に持っていたスマホを投げ、感情の赴くまま吐き出す。彼はこちらを見ていた。



「もういい加減にして!!」
「……」
「何なの、絶対無理、絶対無理、別れるって言ったじゃん!!もう本当無理なんだけど!」



 言ってしまったと思うがもう遅い。夏油は溜息を吐きながらこちらへ近づいて来た。 はまだ玄関口にいる。感情の起伏に寄り涙がこみ上げた。嫌だ。泣くつもりなんてないのに勘弁してよ。







 夏油が名を呼ぶ。



「私の事が嫌いなのかい」
「好きじゃない」



 自分でもはっきりと分かるくらい涙声だ。



「もう好きじゃない。ごめんなさい、別れて下さい」



 沈黙。沈黙。沈黙。

 夏油からのレスを待つが彼は何も返さない。顔を上げた。そこには微笑んでいる夏油がいて―――――









■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■










 熱いシャワーで全身を清め背伸びを一つ。詰めは早く終わらせたい性質だ。そうしないと気も休まらない。この数日、 に費やする時間が多すぎたなと自嘲する。まるで初恋のように夢中になってしまった。こんなに青い真似をしてしまうだなんて自分でも笑ってしまう。



「少し出かけて来るよ、



 薄暗い寝室の中、 はいた。結束バンドで右足と右手、左足と左手を拘束されたまま、膝の下に細いポールが差し込まれ足が閉じられなくなっている。服装に乱れはないのだけれど、膣には緩く刺激する小さなバイブが挿れられ膣口付近をじわじわと責めていた。

 もう少し中の壁の部分やもっと奥部分には一切触れられず、膣口だけをじわじわと責める。もの欲しそうに膣内がひくついているのが自分でも分かった。クリトリスには吸引具が付けられており余裕なく刺激を与え続ける。黒玉は摂取していない。そんなものを使わなくてもお前の身体は正直なものだよ、と夏油は囁いた。

 別れて下さいと告げた を待ち構えていたのは微笑む夏油であり、彼は を捕らえ寝室へ連行した。暴れる を手慣れた様子で制圧し結束バンドで身動きを封じる。口汚く罵る唇にポールギャグを噛ませ言葉も奪った。そこから先は上記の玩具を装着させ乱れた衣服を整える。

 全ての玩具は極めて弱い刺激に留められており徐々に熱を覚えさせる。最初の内は言葉を奪われながらも何かしら呻いていた だったが、夏油がシャワーから戻って来る辺りには熱い吐息を漏らすようになっていた。ポールギャグの穴から唾液が止めどなく垂れて来る。

 これでキミも少しは理解ってくれたらいいんだけど。夏油はそう言い寝室のドアを閉める。 のくぐもった呻き声だけが室内に溢れていた。










■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■










「よぉ、悟」



 夏油は営業前のCLUB∞に来ていた。営業会議を行うからという名目で呼び出されたのだ。五条と七海は先に話を始めていた。



「珍しいじゃん、傑が顔出すなんて」
「呼んだろ」
「本当ですね、仮にも共同経営者なのに」
「私がいると悟がもてなくなるだろ」
「よし、表出っか?」



 他愛もない会話をしながら五条の隣に座る。そうして開口一番だ。あいつ店、辞めさせるから。主語もなしにそう告げた。七海はいまいちピンときていない様子だ。



「ああ、 の事?」
「そ」
「お前あれ本気だったの?!」



  が面接に来た時、実は夏油も店内にいた。CLUB∞は五条と夏油の共同経営により運営されている。基本的に運営は五条に任せ、夏油は名義貸しのような状態だ。店に顔を出す事は殆どない。

 それにも関わらずあの時、夏油は店内にいた。確か五条に何事かを伝える為に来ていたのではなかったのか。普通であれば起こり得ないタイミングが生じそこで出会ってしまった。それは運命と呼んでもいいのではないか。

 五条は相変わらず適当な面接を行っていた。他店の知り合いからの紹介の女だ。一定のランク以上は確約されていた。即日決定で を返した五条に対し、あれ、貰うわ。夏油はそう言った。五条は五条で何も考えずどうぞーと返していた。まさか本気だと思っていなかったからだ。



「経営者特権やばない!?」
「いいですけど、 さんはどうなんですか」
「彼女は従順なものだよ。」
「あーこれやっちゃったね。やっちゃってるね、傑」
「悪い癖はこれから直していけばいいさ、おいおいね」
「あいつ昼職してなかったっけ?」
「辞めさせたよ」
「はえー!傑、相当本気じゃん!!」
「言ったろ」
「あいつそんな可愛げのある性格だったか?言う事聞かなさそうだけどな」
「利かせ方があるんだよ」
「反社~!」
「お前もだろ」
「あなた方2人ともですよ」



 五条も夏油も某反社会的勢力の人間だ。このご時世の為、身分を隠し夏油は青年実業家の体でビジネス展開を広げているし、五条はこの界隈を取り仕切る為、ひとまずこの店を作った。店の女達はビジネスで使う事もある。 をそれに使うなよ、という釘差しの為に口を挟んだのだ。 はあの通り扱い辛い女の為、五条のビジネスには使えなかったらしい。不幸中の幸いというやつだ。

 雇われ店長である七海は唯一、反社会的勢力の人間ではない。が、ここまでズブズブの関係になれば一概には言えなくなる。七海もこの世界に身体半分浸かっている身だ。



「親父が顔を見せろって言ってたよ、悟」
「えーヤダ」
「親孝行だと思えよ」
「世話になってねぇ~」

 なってるだろ、と言いながら席を立つ。そろそろ頃合いだろう。悪い癖は早々と修正しなければならない。










■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■










 数分おきに軽い絶頂を迎え続け息が出来ない。散々に焦らされた身体は、ほんの僅かな刺激にさえも耐える事が出来ず全身を震わせる。どうにか角度を変え刺激を逸らしたいが膝の間に挟まれたポールがそれを許さない。開かれた股から垂れ流される体液は乾く間もなくシーツに大きな染みを作った。

 いつまでこんな生殺しのような状況が続くのだろう。これまで性欲が強いと思った事はなかった。実際のところセックスはそんなに好きではなかった。手段の為に使う事はあったが好んではいなかった。余り気持ちいいと思った事がなかったからだ。

 だからあの動画の中の自分は嘘だと思った。黒玉の効果なのだと信じて疑わなかった。真っ当な精神状態ではないのだと、男に媚び快楽に身を委ねるような真似はそうでないと出来ないのだと思っていた。それなのに、



「さて、反省したかい?
「……っ!」



 唾液に塗れたポールギャグが外され、ようやく口元が解放された。肩で息をしながら夏油を見上げる。きっとマトモでない。初めて感じる疼きに脳は完全に支配された。はしたなく開きっぱなしの足の間を夏油の指が這い、浅い位置で留められていたバイブとクリトリスをはちきれんばかりに吸引した器具を取り除く。

「反省出来たようだね」
「あっ、あ、あ」
「どうしたい?」
「……!」



 指先で体液でぬらぬらと光る大陰唇を撫でる。期待に震えるクリトリス周辺をそろりそろりとくすぐり肝心の部分には一切触れない。じきに は我慢できなくなり声を漏らす。焦がれるような縋るような眼差しでこちらを見上げお願いする。今回の映像も彼女に見せよう。きっと、学んでくれるはずだ。











■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■










 夏油のマンションに軟禁され、あれから二か月が経過した。彼は自らが望んでいた状況にこちらを置いた。仕事も辞めここで暮らす。何もしなくていい。ここにいればいい。スマホは取り上げられている。この部屋には通信出来るものがひとつもない。会社も辞めた。部屋もない。貴重品も全て取り上げられている。部屋の外には夏油の部下らしき屈強な男達が番をしている。逃げる事が出来ない。

 あの頃から状況は何一つ変わっていない。夏油は私を愛していると言う。だからこういう真似をするのだと言う。異常だと分かっているが抗えない。幾度か逃げ出そうと試みた事もある。その内二度はこのマンションの敷地外に逃げ出せた。だけれどその都度、必ず捕まる。夏油は迎えに来たよ、と言う。それから先の地獄を知っているからこそ死にもの狂いで抵抗するのだが、夏油にしてみれば赤子の手をひねるようなものだ。

 易々と捕獲され寝室へ連行される。夏油は『反省』を促す為に を拘束し、従順にする為に責める。 の身体がある程度の快楽に慣れてからは専らイかせまくる事にしたらしい。気を失い感覚がなくなっても尚、散々とボルチオを責める。もう嫌だ、怖い、助けてとうわ言のように繰り返しても止めない。逆らえばこうなる。身体と心に深く刻まれた。無理矢理に開かれた性感帯は消えない。

 日常的に行われる夏油とのセックスにもその影響は顕著に表れた。自ら媚びて夏油に強請る自身の姿を思い出し気がどうにかなりそうだ。



「大人しくしてたかい、お姫様」
「……!」



 誰かと話をしながら入って来た夏油は、通話中のスマホを渡して来た。恐る恐る耳に当てる。



!あんた元気なの?」
「お母さん!?」
「連絡一つ寄越さないんだからあんたは」



 この声は確か実母のはずだ。彼女はまくしたてる。



「夏油さん素敵な方じゃない、あんた玉の輿らしいわね。わざわざこっちまで来て下さって。珍しいお菓子まで貰っちゃってお父さんもご機嫌でさぁ」



 母親と通話したのは5年ぶりだ。元々余り仲がいいわけでもなく、大学に進学してすぐに殆ど連絡は取らなくなった。額の少ない仕送りで母親面されるのも億劫で、だから は夜職を始めた。当然、年末年始も帰省などせず、それは社会人になってからも続いていた。

 言葉が出ない からスマホを取り上げた夏油はにこやかに会話を始める。次の休みには彼女を連れてそちらへ伺いますので。いえいえ、私も仕事がありますので日帰りで。なんて。



「なんで」
「結婚のご挨拶だよ」
「え?」
「一緒に住むし、早い方がいいだろ」
「あの、私そういうのはちょっと」
「……又、教えないといけないのかな」
「……」



 絶対に結婚なんてしたくないのに夏油を前にすると無理だ、言えない。というよりも彼に反対する事が出来ない。その後に待ち構えている展開が恐ろしくて逆らえない。彼の行う『教育』は成果を上げている。

 外堀から埋め の自由を奪い自分のものにする夏油の目的はそろそろ果たされるようだ。目的に向け邁進するこの男がそれを果たした時に何が残るのかが分からない。それだけが唯一自身に残された救いなのだと願っている。