世界がまた歪んだ

 

食事の時間だと声をかけられたのが丁度十分前だ。
トレーナーを着たを目にし、似合っていると笑ったあの男。
特に腹も減ってはおらず、人目につけば
ボロを出しかねないと考えたは丁重にそれを辞退する。
兎角、あの男の眼差しが問題なのだ。全て知れているような気になる。
何の気なしに荷物の事を聞けば、心配するなと言われ困った。
果たしてそれはどういう意味なのか。


「喰い物は後からベポに持って来させる。今日、一日位は安静にしときな」
「ちょっ…」


思わず腕を伸ばせば軽い立ち眩みに襲われた。









「キャプテーン、何してるのー?ご飯、冷めちゃうよー?」
「…あぁ」


あの女の荷物は簡素なものだった。
テーブルの上に並べられたそれらを見て抱いた感想だ。
布に包まれた刀に手を伸ばす。
古い装飾に彩られたそれは思いの他重く、女の使う武器かと疑った。
ベポががこの女を拾って来た時に、何故という思いは抱いていたのだ。


何故、女がこの島を一人で訪れたのか。しかも、あんな軽装でだ。
身体を調べれば妙に締まっていやがるし、あちこちに薄っすらと傷跡がある。
普通の女じゃないと思っていればこの刀だ。
随分、使い込んであるところを見れば肉を切っているのだろう。
そうして刀は血を吸う。


「ベポ!」
「アイアイ、キャプテン!」
「あの女にメシを持って行ってやれ」
「アイアイ…」


この刀を素直に返していいものかを考えていれば、
あの女じゃなくってって言うんだよとベポが呟くものだから、
何とはなしにあの女の名前を知った。










お前の戦い方には悲しみしかないと言ったのはシャンクスだったか。
まるで意味が分からずは刀を振った。
お前の全てには悲しみしかないからかな。
シャンクスはそう続け、どうにかしてやりてェと呟く。
だけれど、生まれてこの方(シャンクス曰く悲しみ)
以外の生き方をした事がないものだから、にはそれが悪い事なのかさえ分からず、
どうしてそんなものにシャンクスが気をかけるのかさえ分からないでいた。
お前には愛情が足りねェのかな。
誰からも愛された事がないのに愛情を知る由もなく、足りる事もない。


シャンクスの事は恐ろしかったが、
彼がその恐ろしいさを見せる事は余りなく、時折忘れそうになる。
いっそ忘れてしまった方がどれだけ楽なのだろうと思いもするが、
神経の奥を握り潰す様な恐怖は中々に根深く、何となしのタイミングで思い出させた。
シャンクスが愛情を教えようと思ったかは定かではないが、
彼がに対し何らかの感情を抱いていたのは確かだ。


最初に声をかけたあの時からそれは胸中に存在し、
同じ船で生活を始めてからも変わらず―――――益々と蓄積されていった。
髪を優しく撫でる行為から、極自然に腕を回す行為。
どういった意味を持つのかを知らなかったは成すがままにそれを受ける。
何事もないように。
そうすれば彼も次の行動に移るし、何となくされるがままになっていた。


一線を越えたのは一年を過ぎた辺りだ。
普通の成人男性にしては随分と辛抱をしたといえる。
あの日、丁度見ず知らずの輩と殺り合った日だ。
何の普遍もなく過ぎていくに違いない日。
血を喰らった後の高揚した状態のまま酒盛りが始まり、
アルコールに飲まれた感情は鋭さを失くす。
何となくシャンクスがの背後に回り、それとなしに酒を飲み始めた。
気にする事なくも酒を飲む。いつもと違う感じはしていた。
それが果たして何なのかは分からなかった。
彼としても酔い潰れた女を転がしたいつもりではなかったのだろう。
互いが互いのペースで喰らい、夜は更けていった。


部屋まで連れて行ってくれと囁いたのはいつ頃だったか。
もう、すっかり静まり返った船上でシャンクスはそう囁き、
断る術も知らないは彼を支え部屋へ向かった。
覚束ない足取りで向かい、シャンクスをベッドへ横たえる。
その刹那、引かれた腕。紙の様に身体は転がり、シャンクスの上に乗った。
至近距離で見たシャンクスの眼差しは一言で言うなれば異質で、
一気に酔いも醒め頭の奥の方が怯えた。
理由もなく漠然とした不安が身を包み、思わず身を離す。
逃げるなと呟いたのは目前とシャンクスか、自身の頭の中か。
口付けられればもう身動きは取れず、只、彼の成すがままに全ては片付いていた。









微かな物音に気づき目覚める。
どこか気に障る音で、何となく起き上がり様子を伺った。
あの男の言った通り眠っていれば、随分身体は楽になっている。
ふとベッド横のテーブルに視線を送れば冷え切った食事が置かれていた。
あの白クマが持って来たのかと思い、スプーンに手を伸ばす。


「!?」


男の怒鳴り声が聞こえ、刀の擦れ合う音が続いた。
一瞬で空気が張り詰めるが如何せん、こちらは丸腰だ。
素手でどれだけ渡り合えるかは分からないが、断然こちらが不利になる。


「…最悪だな」


有り得ないとは思うが、もしこれがシャンクス達の仕業だとしたらどうだ。
ドアをゆっくりと開けば薄暗い廊下が見える。
足音を立てないように一歩を踏み出せば背後から口を塞がれた。
強い力で身体を抑え込まれる。
反射的に肘で背後の何者かを殴ろうとしても
両腕を押さえられ、思い切り身体を屈めた。


「…騒ぐな」
「…」
「今、この船には敵が攻め込んでる。お前が何者かは知らねェが、手前の身は手前で守りな。
こいつは忠告じゃない、命令だ。一度は拾ってやって命だからな」


背後から口を塞いだのはあの男だった。
何となく現状を理解したは小さく頷いた。
命令をされる筋合いはないが、命は確かに助けてもらったからだ。
だから、これは命令を聞くわけではない。


「…刀は」
「いい刀だな」
「助けてもらった恩は返すよ」
「恩、ね…」


男は呟き、そいつは見物だなと口元を歪めた。









敵が攻め込んで来たのは本当だが、ロー自身そんなに驚いてはいなかった。
多少、腕のたつ奴はいるものの自分が出ずともどうにかなる程度の相手だったからだ。
只、あの女―――――の力量を測るに適していると考えた。
刀を受け取ったは手馴れた感じで鞘を置き、表へと向かった。
彼女がそれを手にした瞬間、刃を向いた瞬間だ。
背筋がヒヤリと冷え目を疑う。この感覚は何だ。


!?もう大丈夫なの??」
「…夕飯、喰えなくて悪かった」
「いいよー。ぐっすり眠ってたから起さなかったんだ」
「おかげで、元気になったよ」


相手の数は少なく見積もって十人。息を吐き、目前を見据える。
体躯の小さい、しかも女が出て来たとなっては相手も苦笑を漏らすわけだ。
幾度も見た光景に思わずこちらも笑った。


「ベポ!下がれ」
「キャプテン??」
「なぁ、ベポ。おたくのキャプテンの名前は何て言うんだ?」
「えーっとねー」
「ロー」
「!」
「トラファルガー・ローだ。


やれと言わんばかりにこちらを見据えるローを
一度だけ見たは一歩を踏み出した。









只々、得も知れぬ笑いばかりがこみ上げた。
あの肉の切れ方、の動き。手馴れた様子で命を奪う様。
甲板を埋め尽くす血潮と、次々に転がる肉片―――――
血の海の中、は悠然と立ち尽くしていた。
時間にしたら大よそ五分。まるで容赦のないそのやり口に感服する。


「…こりゃあ、いい」
「…」
「いい拾いモンだ」


刀についた血を振り払った
表情一つ変える事なく、こちらを振り返った。


「一宿一飯の恩だよ」
、凄いね!!」
「これで、貸し借りはナシだろう」
「―――――ああ、。助かったぜ」


ローはそう言い、ゆっくり休めと告げる。
このまま出て行きたかったが、何分ここいら近辺の気候は酷く変わり易いため
(又、吹雪かれては堪らない)大人しく部屋へ戻る事にした。









切り捨てられた肉片を手にしたローは、そのまま部屋へと向かった。
どこかで目にした切断面だ。この特徴的な切り口―――――


「―――――『命喰い』…!」


以前、紙面を頻繁に賑わせていたあの『命喰い』と同じ断面だ。
ゴシップ色の強い雑誌には切り捨てられた海賊の死体がゴロゴロと載っており、
まずはその美しい切り口に目を奪われた。
ターゲットが自分と同じ海賊だったとしてもだ。
その相手がまさか目前に。挙句、自分と大して歳の変わらない女だったとは。
何でも構わず拾ってくるベポの悪癖を初めて褒めてやりたい気持ちになった。
今回の拾い物は、これまでで最上のものだ。
肉片を海に投げ捨てたローはその足で甲板へ向かう。
血の跡を落としていたクルーに向かい、
そんな事をしている暇はねェと告げ、今すぐに船を出せと叫んだ。



クソほど長ええええ!!
ようやく互いに(ローと主人公が)名前を覚えました。
名前一つ覚えるまでがクソ長ええええ!
そんで回想のみ出演のシャンクス、長ええええ!!!
年を越して長い話は続きます。
そしてローが断面云々の珍妙なフェチに…スマン、ロー。
そしてこれまた勝手に変な癖をつけられているベポ、スマン…
あっ。あけましておめでとうございます。
模倣坂心中 /pict by水没少女