愛というのは苦しすぎる

 

はまだ戻って来ねェのかと呟かなくなってから
暫くが経過すると気づいたベンは、ようやく事態の深刻さに気づくが時既に遅し。
シャンクスの様子は特にこれといって変わりなく、
普段通り何となく釣りに興じたり、ぼんやりと空を仰いだりしている。
元々、余り何かに対して執着をしない人間だ。
そうして腹の内も滅多に見せない。
開けっ広げな男のようでいて、
その実心の一部分だけは決して見せる事のない男だからだ。
他者に対し嘘は吐かず、それは自身に対しても
決して嘘を吐かないシャンクスらしいともいえる。だからだ。
だから、の存在が酷く恐ろしかった。


長い間、共に過ごしてきたがシャンクスが
唯一執着心を見せた相手がだった。
子供が菓子に手を伸ばす道理と同じで、
単に欲しい、そんな感情が一番近いだろう。
理由はなく、只欲しいのだ。
少なくともベンはそう思っている。
女に対し、ストイックまではなくとも大した執着は持たず、
特に愛されるものだから飢えもしないと考えていたが、
これは少しばかり異常な事態に陥った。


シャンクスがを連れ、顔を見せたあの日から軸は少しずつずれ始め、
今となっては修復がきかないほどずれてしまっている。
只、下手に突かなければこれまで通り
波風をたてずにやり過ごせるのかと、希望的観測に縋っていた。


「…逃げちまったみてェだな」
「…」
「やっぱ、羽がありゃあ飛びたくもなるよなぁ」
「お頭―――――」


一個人としての意見ではに対し、
少なからず同情の余地はあると思っている。
相手が悪すぎるのだ。
幾度か男に騙され、そうして男を騙してきた事のある女ならいざ知らず、
に関してはそういった経験がまるでない。
誰かに愛された事もなければ誰かを愛した事もない。
酷く物悲しい事実だが、それがだ。
だから自身の女という性を受け入れきれず、
恐らくはこれまで手にした事のない、
人との繋がりだけを求めここにいたはずなのに。


「風切羽を切らねェといけねェのかな」
「…」
「俺としては、あいつには自由でいて欲しかったが」


どうやらそういうわけにもいかねェみてェだ。
小一時間ほど垂らしている釣り糸には何もかからない。
海原を見つめながら、ぼんやりと言葉を口にするシャンクスを見ながら、
もう後戻りは出来ないのだと知る。
の顔が脳裏を過ぎったが、下手な同情をする前に消した。









が暫くの間ここへ残ると聞き、真っ先に喜んだのはベポだった。
順番としては彼にとって初めての部下になるわけで、
我先に船内の案内をするベポに対し、も口を挟まず付いて回った。
他の船員も特に口を出さず(そもそも船長の決定だ、口を挟める道理もない)
先日の戦いにての実力を目の当たりにしてもいるわけで、
ベポの様子に苦笑を漏らしている。


この船の中では全てを船長以外の人員で割り当てて生活をしていると告げ、
仕事の分担をしていれば当のは実務がまったく出来ない事が発覚。
お前はこれまでどうやって生きてきていたんだとシャチが呟く。
食事を作った事もなければ、洗濯をした事もない
(それもそうだ。シャンクスの元にいれば、
誰かしらが全てをしてくれ、はシャンクスの相手ばかりをしてた)
お前はお嬢様か何かかと呆れたように言われ、
初めて自身に生活力がない事を知った。


殺し、奪い、その日を過ごす。
海賊もそうだと思っていたが、人々によってその辺りは違うらしい。
そういえば、シャンクス達の所も皆が役割を分担し生活をしていた。


は何も出来ないのー?」
「悪いね」
「いいよー!俺が教えるよー」
「…ベポ、お前、出来るのか…!?」
と一緒にしないでよー」
「いや、けどさ。ここまで何も出来なかったら、逆に清々しいよな」
「まぁ、嫁には行けねェけどな」
「掃除、洗濯は俺が教えるよ、。まずはこの辺りからだろ」
「そうだな、料理は…」
「キャプテン、味にうるさいからねー」


ロー不在の状態で
(あの男は自室から余り出て来ないらしい。先ほどベポから聞いた)盛り上がる。
仲のいい奴等だと思った。
同年代の人間と普通に会話をする事が酷く新鮮で、
戦い以外の分担も初めてだ。


「ああ、そう言や。お前、『命喰い』らしいな」
「…!」
「スゲーなお前。いや、確かに凄かったよ、この前のアレ」
「凄かったよねー!?」
「俺、有名人に会ったの、キャプテン以外にお前が初めてだよ」
「あいつ、有名なのか?」
「知らないのかよ!流石、有名人は違うよな…」
「『死の外科医』って呼ばれてるんだぜ、俺らのキャプテン」
「へェ…」
「あの通り、マイペースでちょっと変わってるけど、スゲエ人なんだよ」
「そうなんだよー!」


愛されているのだろうと、漠然と感じただけだ。
そうして、これが仲間と呼ばれるものなんだと、そう思った。
シャンクスの所でも感じたものだ。
そうしてが手に出来なかったものになる。
いや、あれはどうにも出来ない状況だった。
皆が生きる事に手一杯だったから。


「どっ、どうしたの!?
「えっ」
「どこか痛いの!?それとも具合が悪いの!?」
「コイツ(シャチ)が何か言ったか!?」
「コイツ(ペンギン)が何か言ったか!?」


気づかない内に涙が零れており、本人以外が大慌てし始める。
涙に気づいたも酷く焦り、
痛くもなければ悲しくもないと告げるが何故だか涙は止まらない。
涙なんていつ振りに流しただろう。
涙腺は乾ききってしまったと思っていたが、そんな事はなかったらしい。
感情も欠落したと思っていた。


!!これ飲んで!落ち着くからー!!」
「やっ…いや、そんな気を使わなくても…!!」
「いいから!!キャプテンに殺されるから!俺らが!!」


ベポから手渡された温かいミルクからは蜂蜜の香りがしていた。
一口飲み込めば、これまで一度として思い出さなかった
昔の仲間の顔を思い出し、余計に涙が零れた。
飢え、傷つき死んでいったはずの仲間達が
笑顔のまま思い出されるから涙が零れるのだと思った。



何て言うか、ローの出番がなかったよね・・・。
シャチとペンギンが変わりに出ずっぱり。
そうして、初っ端はまさかのベン視点という。
最早説明役に徹してしまったベン(よくあります)
シャンクスとキャスケット達との温度差が酷い。
模倣坂心中 /pict by水没少女