確かに愛していました





あたしはもう無理よ。
がそう言った光景ばかりを覚えている。
あたしはもう無理よ、無理なのよスモーカー。
どうやら彼女は酷く疲れているようで、
長い髪をかきあげながら、やつれた横顔を見せていた。


長い睫毛が濡れているのは涙のせいなのか。
彼女は泣いていたのだろうか。
そんな弱さなんて微塵も見せないだったから、想像がつかなかっただけだ。


海軍内でも出世頭の彼女だって泣きたい時くらいあるだろう。
スモーカーと同期の彼女でも。
そういえば幾らか歳は下だったような気がしたが、余り感じさせないのは何故だろうか。
誰にも甘えず、決して許さず。目に見えない正義を確固なまでに信じ。
そんな彼女がどうして。


「どうしたんだ、お前」
「もう、無理なのよ。あたしはもう」


白い正義は赤黒い血潮で汚れていた。
何となくだが、も同じような状態なのかと思った。
彼女の正義は汚れてしまったのだろうか。
余りにも真摯な彼女の正義は、余りにもよくある事態に飲み込まれたのか。


「落ち着け、なぁ。いいから、暫く休め」
「スモーカー…!」


はそのまま休暇に入り、二度と戻ってくる事がなかった。
将来を嘱望されていた彼女の存在はなかったものとなり、
不透明な組織内の力が薄気味悪いとさえ思えた。
それでも、仕事外で会う時間は出来るだろうと、楽観視していた。


とは二度と会う事が出来なくなったのだと知ったのは、
抜け殻になった彼女の部屋を目の当たりにした時だった。
まったく何一つ意味も理由も分からず、呆然と立ち尽くした。














会場は大盛況に包まれ、誰もが賛辞の言葉を口にしていた。
総勢500人以上が招かれた成婚のパーティに
何故自分が招かれたのかが分からないでいる。
海軍のお偉方が上座に陣取るような場だ。
正直な所、自分は場違いだと思えた。


居心地の悪さを押し殺したまま時間が過ぎる事を祈っていれば
主賓がお目見えし、何とはなしに視線を上げた。
息が止まるかと思った。いや、きっと止まった。


白いベールを被り、こちらに一瞬だけでも視線を寄越したのはショウだ。
隣にいるのは七武海のクロコダイル―――――
意味が分からないまま、只吐き気がした。
お偉方は知っていたのだろう。
どよめく事なく、視線を向けていた。


そのまま形式上の進行が終わり、立食のパーティへ変更された。
それと同時に席を立ち、真っ直ぐに出口へ向かう。頭の中が混乱している。


「久しぶりね、スモーカー」
「お前…!!」
「何よ、そんな」


軽蔑した眼差しで見ないで。


「今まで、どこで何をしてやがったんだ!!」
「見てご覧の通りよ。今日は、あたしの婚約披露パーティに来てくれて、ありがとう」
「…!!」


白いドレスに彩られたは、赤い唇で笑う。
酷い悪夢だ。
すっかり記憶の奥底に葬られていた彼女は、こんな顔をしていただろうか。
感情を物ともしない、美しい化け物がそこにいた。
思い出ごとすっかり犯されてしまったようで、思わず口元を覆う。
そしてやはり眩暈は止まらず、
何となくだがこれが地獄なのだろうと、ぼんやりと思っていた。














急激に冷えが進み、吐く息が白くなりもう冬なのだと思い始めた辺りだ。
一度死んだ心は性懲りも無く生き返り、それとなく似た事を繰り返す。
の事は気がかりだったが、流石に似たダメージを二度受けようとは思わず、
流れる噂さえ触れないようにしていた。
それなのに、噂というものはどこからともなく辿り着くようで、
今まさに真偽と対峙している。


仕事を追え、一月振りに家へと戻れば、
部屋の前にが座り込んでいた。
気まずい沈黙が訪れ、怒りさえ芽生えない。
疲れているからだろうか。驚きもそうなかった。
言葉を発する事は出来ず、黙ったまま部屋の鍵を開ける。
何を言わなくともは入って来た。
ふと視線を指先に移せば、彼女の指先は震えていた。
噂は本当だったのだと思った。


海軍内に流れている彼女の噂は、
薬に溺れている、という身も蓋もないものだった。
クロコダイルはを薬で沈め、手に入れたのだと言われていた。
まあ、そう言われれば納得せざるを得ない。


「…まずいんじゃねェのか」
「いいのよ」
「お前はそうかも知れねェが、俺にとっちゃあまずい状況だ」
「助けて」
「…」
「薬を抜きたいの、お願い」


愛した女の落ちぶれた姿など、目の当たりにしたくはない。
どうしたらいい。
の吐息は弱く、それなのに性急で今にも事切れそうだ。
どうしたらいい。
細い腕で身体を抱き締める
きつく目を閉じたまま、スモーカーの答えを待っている。


「…何があった」
「…」
「説明してみろ」


俺を納得させてみろと、顔を見ずに吐いた。
まったく、何て馬鹿な男だと、我ながら呆れた。





先に白状しておきます。
これ、続きます。
暗い感じはそのままに続きます。
クロコダイルとスモーカーとか、
何か久々に絡ませたなあとか思いながら、続きます…。
2010/10/4

AnneDoll/水珠