その声は懐かしみに満ちていて







急に船内がざわめき始め、まさかという思いが急に湧き上がった。
吐き気のような、足元から力が抜けていくようなそんな感覚。
目線だけが船内を泳ぐが、誰も言葉を発する事は無く、
只船医達がのいる部屋へ駆け出した。
ゆっくり立ち上がり、いよいよなのかと腹を括りたいのだが、
そこまで頭が回っていない。


あの日、をここへ運び込んでから一週間が経過しようとしている。
一命は取り留めたものの、容態は決して予断を許さず、
彼女の意識が戻る事はなかった。


このまま意識が戻らない可能性の方が高いと知らされたのは、その翌日の事で、
正直な所、酷く参ってしまったマルコは
の側に居る事が出来なくなったわけだ。
このまま死にゆく彼女を見守る事が出来なかった。
同じ生き方をしている人種だとしてもだ。


医師の診断を受けたその日、マルコはの店だった場所へ向かった。
同じ船に居る事が辛かったし、じっとしている事も出来なかったからだ。
彼女と初めて出会った場所は主を無くし、すっかり寂れていた。


こんな結末を迎える為には生きてきたのか。
助けを求められる事もなく、手を差し伸べる事も出来ない。
身体ばかりは引き連れたものの、
そんなものは求められていなかったのかも知れない。
これでよかったのかと、後悔のような思いばかりが胸を埋め、苦しいのだ。


「…やぁ」
「…」
「あいつは、そちらにいるのかな」
「…あぁ」


そういえばの側にはいつだってレイリーがいた。
そうして今、マルコの目前にレイリーがいる。


「もたねェかも知れねェよぃ」
「…そうか」


交わした言葉は少なく、会話と呼べるかどうかも分からない。
只、の現状を伝えれば、
ここでようやく心が大きく揺れてしまい、動揺を隠す為に口をつぐんだ。
この店に残っていたはずの思いでも薄れてしまう。
悲しみに押し流されてしまう。


「あいつが選んだ事だ」
「…」
「誰も、気にする事はないさ」


だから苦しいのだと、互いに分かっていたはずだ。














どこに行っていたんだと、語尾を荒げたのはサッチだった。
サッチの声が耳に残り、まるで現実離れした空気を肌に感じている。
慌しく走り回るクルーは皆が笑顔を忘れ、
こちらの手を引くサッチの腕さえ払えない。
このまま真っ直ぐに進めば、のいる船室に到着してしまう。
消毒液の匂いが漂う、逃げ出した部屋へ。


何れ執着する場面だと分かってはいた。
いつまでも、同じ日々の繰り返しはあり得ない。答えは出る。
それを目の当たりにしたくないというのは逃げであり、
あんな状態の彼女を助けたのも逃げだ。
失う事に怯えた心がそうさせた。


出会った頃から今まで、ちっとも心が届かない関係だった。
の心はまったく分からず、今も昔もだ。事後の彼女しか知らない。
ああ。足が止まった。
軍医の姿が半分だけ見える位置で足は止まり、びくとも動かない。


「おい!!」
「サッチ…俺ァ」
「馬鹿言ってんじゃねェよマルコ!!お前が見届けねェで、どうするんだ!!」
「…!」
「一生で一回しかねェんだぞ!?後悔なんざ、してもしきれねェ!どこにもやりたくねェんなら、無理矢理にでも引っ張れよ!!逝くんじゃねェって叫べよ!!」


この空気を死ぬまで引き摺るなんて、そんなものは地獄だと分かっている。
同じ季節を招くたびに思い出し、心の全てをに持って行かれる。
いや、今も持って行かれている。
気づかない内に、この両足は動き、船医の姿は全身が見え、
その先に白いシーツが見えた。


!!」


自分でも驚くような大きさの声で名を呼んだ。
目を閉じたまま、あの日から動かない彼女に駆け寄り、微弱な心音に縋る。
このまま彼女の目が開き、それで生かした自分を憎んだとしてもだ。
これからも心一つ分かり合えないとしても身を揺さぶり、
名前を叫んだ。逝くなと叫んだ。


くすみひとつないグラスを手に取り、微笑みながらアルコールを注ぐ彼女の姿。
いつしか心を奪った、あの店内。
こんな生き方をしていれば、
死んだ方がマシだと思えるほどの出来事に押し潰される事もあるだろう。
命を保ち、仲間を失い、孤独に苛まれ、命の価値が分からなくなる。
そんな孤独は味わった奴にしか分からない。


「どうして…」
…!?」
「どうして、泣いてるのよ…」


埋めた顔を上げ、の顔を見つめる。
薄く開いた眼がこちらを捕らえ、実感が湧くより先に周囲が歓声を上げた。
何かを告げようと思ったが、涙が滲みそうで、そのままシーツに顔を埋める。
言葉を選べないまま、痛む心が悲鳴を上げた。

終わりませんでした(スイマセン)
一月以上振りに書いてるわけではなく、
途中で詰まったんです。抗いようの無い、
死ネタにするか否かの瀬戸際で。


2010/10/24
pict by水珠