崇拝と憧憬と





目の横の辺りからつう、と血液が垂れ落ちた。むず痒い感触だ。
こんな事もあるのだと、酷く珍しい感傷に浸り、これは詰まらなくないのだと思えた。
これから起こる事は恐らく、詰まらなくはないのだろう。
これまで生きてきた中で、詰まらなくないと思えた事はなかった。
だったら、これはきっといい事なのだ。


詰まらなくないとい事は面白いという事で、
面白いという感覚を生まれて初めて抱けるという事だ。
この退廃した街で巡り合えるとは思っておらず、思わぬ巡り合わせに感謝する。


肌を刺すように冷えた空気はこの街に蔓延している。 眩いばかりに光り輝く癖にちっとも温もりは産まれず、飢えた人々が集うだけだ。
そうして彷徨う。まるで、とキッドのように。


「相変わらず、目障りな女だぜ。なぁ、キラー」
「違いない」
「邪魔なのよ、あんた達」


名を上げる事だけを目的とし、暴力で生活を染めた。
この街には何もない。そうして、こんな自分にも何もない。
それはきっと、目前とキッドも同じだ。
何もないから、こんな生き方しか出来ない。
燻って、汚れて。そうして地に埋まるはずだ。日の目さえ、見る事無く。


「…何だ?手前」
「いいから、ちょっと」
「何ふらついてやがる―――――」


薬でもキメてんのかと、何とも詰まらないキッドの言葉が耳に届いた瞬間だ。
一気に足元から力が抜けた。
抑えていた腹部の傷が裂け、どうにも血液が噴出したようだ。
こんな街では味わう事の出来なかった詰まらなくない出来事は、
こうして大きな痕を残した。産まれて初めて、生きていると思えた瞬間だ。
だから、心残りはない。
こんな、何もない街でゆっくりと死んでいくよりは随分マシだ。
思わず咳き込めばやはり血を吐き出し、見事な散り様だと笑った。














何もない暗い世界から目覚めれば、同じような光景が続いた。落胆だ。
目に映るのは、煌く街の下に蠢くコンクリートの壁。
明かりの届かない世界。いつもの場所だった。


「何だ、目が覚めたのか」
「キラー…」
「どうした」


目覚めればキラーがいるだなんて、それこそ現実的でない。
しかし、現に今、目前にはキラーがいるのだから、
受け入れないわけにはいかないだろう。
腹部からの出血は止まっている。痛みだけが残った状態だ。


「お前がそんな怪我を負うなんて、何があったんだ」
「…別に、あんたに言う道理はないんだけど」


波止場で見知らぬ男に出会ったのだとは言った。
この街に出入りするギャング達とは違い、自由の匂いがしたとも言った。


「ちょっと待て、。お前、どうして波止場なんかに行ったんだ? あそこはクロスファミリーの縄張りだろう。ばれたら事だぞ」
「知ってるわよ」


だからだ。だから、その男に目を奪われた。
この街で幅を利かせているクロスファミリーは他者の侵入を許さない。
あの波止場では様々な商売を行っているのだ。
その時も、大きな(恐らく薬だろう)取引があっていたらしく、男はすぐに囲まれた。


「あっという間だったわ」
「…」
「あの男の動きに、あたしはついていけなかった」


気づけば腹部の辺りが切れており、薄っすらと血が滲んでいた。
その時はそれだけだったのだ。表面よりも更に奥、内部が深く切れていた。
思わず手で押さえる。


顔を上げれば男一人が立っており、皆、伏していた。
一瞬の内に全てが終わっていたのだ。
こんな感覚は初めてで、冷えた身体をすっかりと忘れた。
男はこちらに近づき、じっと顔を覗き込む。
息を殺せば、額を流れる血を指先で拭った。
男の指が触れた瞬間、大量の熱が湧き出、生きているのだと知った。


「…お前、それは」
「あんな感覚は産まれて初めてだったわ。感情の全部がごちゃ混ぜになって、身体が芯から熱くなって―――――」
「うるせェな」
「…何なのよあんた。話の腰を折りやがって」


不機嫌そうな面構えで口を挟んだのはキッドだ。
片手に大きな紙袋を持っていた。


「海賊」
「何?」
「お前が見た男は海賊だ」
「海賊―――――」


分かったらさっさと出て行きやがれ。
キッドはそう言い、紙袋を投げつける。
一体何の真似なんだと憤る間もなく部屋から追い出された。














「…そう落ち込むな、キッド」
「落ち込んでねェよ」
「確かにかける言葉も見つからないが、元気を出せ」
「うるせェな!」


こんな街はさっさと捨てて大海原に出る。
そんな事をキッドが言っているだなんては知らない。
日に日に輝きを失っていくの眼差しを憂いている事も知らないし、
そんな彼女を仲間にしたいと祈っている事も知らない。
それなのにどうだ。あのの眼差しは。
そんな、急に現れた海賊に目を奪われ、死んだ眼差しを輝かせ、
事もあろうか自覚のない惚れた腫れたを口にするだなんて、そんな、まさか。


「まあ、よかったじゃないか。これであいつは海に出る」
「…!!」
「頭を下げて頼んでみるか?」
「!!!」


元々散らかった部屋で暴れだしたキッドを見ながら、
前途多難だと溜息を吐いたキラーは、
遥か彼方で輝く偽者の星を見つめる。
確かにあんな星は随分と見飽きた。本物の星を見つめたい。
キッドだけではないのだ。
早く、こんな街を抜け出したい。





ご無沙汰しておりますエリオですあけおめ!!(二月も半ば)
唐突な消息不明の詳細は日記にて(本当スイマセンでした)
キッドとキラーの過去模造話。
海賊は誰にしようかな。

2011/2/16

AnneDoll/水珠