這い蹲っても赦さない








*ルーキーが新世界に行った後の話です


冗談じゃないと呆れたように声を張り上げ、自室へ戻るを見送った。
そんなつもりはなかったのだが、ああも勢い良く出て行かれれば止める事も出来ない。
大きな声で強く言葉を告げるという事は、それ以上は何も言うなという事だ。
聞かれたくない、言いたくない。
この二年、はずっとそんな態度で、だからとっくに慣れの領域に達している。


「あいつはいつになったらメシをまともに喰うんだよ」
「とっくに胃が縮んでるだろよ。まあ、まだ動いてるって事は、最小限の栄養は摂取してるって事だ」
「俺のメシ、不味いか?」


コックにここまで気を使わせるなんて、
まったくはとんでもない女なのだと内心思ってはいる。
恐らく皆、思ってはいる。それでも口にはしない。原因は明白だからだ。


「…薬が問題だよぃ」
「薬ぃ?」
「メシをロクに喰わねェのも問題だが、わけの分からねェ薬を飲んでるのも問題だろよぃ」
「見せてくれねェんだよなぁ。どこで手に入れてんのかは知らねぇが…」


ここでは誰もが干渉しない、それが原則だ。
だからマルコも口は出さない。それでも目にはつく。
ここ最近、が船から戻らない理由と、あの得体の知れない薬はリンクしている。
事態はちっともよくならないのに、どうしてそれに縋る。


やれやれと溜息を吐いていれば大きな音を立てが又、この船を出て行った。
何日後に戻って来るのかを賭けようかと思ったが、止めた。














「プラセボなんか、いらないのよ!!」
「分かったか」
「本物の薬が欲しいのよ!」
「お前が欲しがってるような薬はねェよ」


プラセボを投げつけられたローは呆れたようにそう言い、
日に二度もこの女の顔を見る羽目になるとはと呟いた。
まだ新世界に入る前だ。
この女がユースタス屋と一緒にいる場面をよく目にしていた。
そうして大戦。それから数年。
随分ぶりに顔を合わせたこの女は、あの大戦で垣間見せた表情をしていた。
これだけ時間が経過しているというのに、同じ顔をしている点にまず笑ったし、
こちらを見るや否や薬を寄越せと迫る図々しさにも笑った。


駄目なのよ、もう本当に駄目。
新世界の医者はどうにも出来ないって言いやがるし、強い薬さえくれない。
眠れないの、消えないの。
だからお願い、ロー。あたしに薬を頂戴。


「時間だけなんだよ、お前のその現象に効くのは」
「効いてないから言ってるのよ」
「まぁ、そりゃあそうだが」
「本当、あたし本当に参ってるの。こんな生活はもう嫌。助けて」
「ユースタス屋に言いな。俺の十八番じゃねェよ」
「あいつに言えるわけない」
「…だろうな」


お前はそうだろうなとローは呟き笑った。
だったらどうして俺に言う。俺にも隠し通せよ
隠し通して一人で死んじまいな。
そう続ければは言葉を失くし、床に崩れ落ちる。


彼女のいう所、例の声が頭の中で鳴り響いているのだろう。
思い出を失くせない理由もそれだ。
忘れかけたところで必ず声が響く。全てを蘇らせる。
時薬なんてまったく非現実的な言い方だが、確かにそれは効力を持っている。
それが効かないなんて気の毒な話だ。


背後で頭を抱えているこの女も一端の海賊で、
これまで杜撰な生き方を省みずやってきたはずだ。
己の欲望そのままに過ちを積み重ねてきたはずだ。
命さえ惜しみもせず、明日の事も考えない。
この女はそんな生き物のはずだ。
そんな生き物のはずなのに、何故悔やむ。


「重ねるんじゃねェよ。俺もあいつも、お前の思い出なんかにゃ関係ねェぜ」
「分かってるわよ」
「お前の大事な人は残念ながら死んじまったが、だからそれがどうした。特に珍しくもねェし、俺もお前もいつそうなったっておかしくねェんだぞ」


俺なんかに諭されてるようじゃ、お前も仕舞いだな。
頭の中で鳴り響く声に押し潰されているを見下ろし、腕を伸ばしかけたが止めた。
どんな慰めも彼女には通用しないし、今の所ローに成す術はない。
彼女は恐らく知っている。流石に感づいている。明日が来ない事に。
少なくともこの数年の間、明日が来ていない事を。


部屋を出て、ひそひそと様子を伺っているベポに温かいミルクを用意させる。
この程度の気休めしか出来ないが、それで十分だろうと思えた。





決して明るくはないという

2011/5/22

AnneDoll/水珠