僕を恨んで世界に泣いて





どうしてそんなに詰まらない嘘を吐くのと聞いた にエースは言った。笑いながらだ。
お前が言う詰まらない嘘なんてのが、この世界の全てだと。俺もお前も、それ以外も。
あんたみたいに皆が嘘を吐くと思うな、確か はそう言ったし、
詰まらない口を叩くのはお前だとエースは言った。
そのまま腕を掴み壁に押し付ける。


はっと上げた顔を覗き込み、じっと目を見つめ暫し静止。彼女の睫が細かく揺れる。
実際、力が自分に向けられる事はないと思っていたのだろうし、向けるつもりもなかった。
どれだけ威勢よく生きていようと所詮、女は女。
エースの力を認めていれば尚更だ。敵う道理がないと知っているから。
背中を預け戦う事も多々あれど、守らなければならない相手と知って何故。


「俺もお前も、こんなもんだ。この程度なんだよ」
「…」
「お前が言う希望とか、そういうのが一番気に喰わねぇ」
「嘘吐き」


間髪入れず銃を抜き放つ。エースの体が炎と化し、掌型の焦げを作った。
あんたが欲しがっているのはそれよ、エース。
生きる希望なんてのをあんたは死ぬほど欲しがってるのよ。
急激に室温の上がったこの部屋でそう叫べば、エースの気配が膨らんだ。
これは怒りか。それとも哀しみか。
陽炎のように姿を現すエースの顔を見つめた。
きつく拳を握り締め、まだ耐えている。
一応の感情で、こちらに危害を加えないようにと。欠片の愛情で。ふざけるなよ。


軽い上辺をしている癖に、内面はそこらの海賊と何ら変わらず、
気に入らなければすぐに手を出す男だ。
何一つ悪いとは思わず、恐らくそれ以外の術を知らないのだろう。
だから責めない。責めないが、何故そうしない。
気に入らないのならば殺せよと思うこの心は歪み切っている。
エースの歪みがうつってしまったのだ。きっと。


「はいはい、そこまでだよぃ」
「マルコ…」
「お前ら、船を壊すんじゃねぇよぃ」


そうして毎度の如くマルコが登場し終了を迎える。
エースは黙ったまま背を向け部屋を出て行くし、 は深い溜息を吐き視線を逸らす。
きっと二人の声は筒抜けなのだろうし、マルコ達はいつもの事だと放置をし、
そうして が危険だと察した時点で止めに入る。
何をしているのだろうと、思ってはいた。


「手前も、エースも、仕方のねぇヤツだよぃ」
「ねぇ、マルコ。一体どうしたらいいの?」
「何がだよぃ」
「どうしたら、あたしはエースの隣に立てるの?」


同じ隊で共に戦い、それなりの歳月は経過したはずだ。
それなのに距離は益々開いていくし、手を伸ばせば遠ざかる。
港ごとに女を買いに行くあの男の背を何度見送ったか。
自分の中に渦巻くこの感情を愛と呼ぶと知っていた。
戦いの度に背を預ける相手に抱くべき感情かどうかは分からない。


「…手前にゃ、無理だよぃ」
「どうして」
「目線が、あいつとは違いすぎる」


お前だってその位の事は分かってただろう。
目の前で泣く を只、見ていた。
が何だかんだと口煩い事を言いながらエースを追いかける様を眺め、
何れこんな時が訪れるだろうと思っていたマルコは、
出来るだけ少ない言葉で事実を知らせる。
気持ちだとか、愛情だとか。
そんなものを真正面からぶつけられ、
受け止める事が出来ないエースの気持ちも分かるし、
ぶつけたがる の気持ちも分かる。
互いが互いを傷つけるだけの行為だ。大事に、思っているのに。


「…


の涙が床に染み込む度に、喉元まで出かけていた言葉を囁いた。
他意はないと自身に嘘を吐く。
お前もこっち側に来るかよぃ。
涙に彩られた の瞳がゆっくりとこちらに向けられる。
どういう事。そう問うているようだ。
只、純粋な彼女を汚したかっただけ。ほんの少しだけ。


「マル、」


の頭に手を置き、口付けた。
大きく見開かれた の瞳から涙が零れ落ち、頬を伝う。マルコの頬にも落ちた。
ドアの向こうにエースがいる事は知っていた。









何事もない平穏な青空が広がるある日の事だ。
まるで昨晩の戦いが嘘のようだと誰かが呟く。
甲板に残った血の跡をデッキブラシで擦る音ばかりが響き渡り、
まあゆっくりと時間が流れるとマルコが天を仰いだ瞬間だ。


「…何だよぃ」
「別に」
「何もなしに立ってんのかよぃ」


エースがいた。


の容態は」
「…」
「お前んトコの副隊長だろうがよぃ」


参っているとエースは呟いた。
昨晩の戦いで は深手を負い、要安静の状態となった。
血塗れの を担いだエースが船医の元へ駆け込み、
蒼白の顔面で容態を聞いていた光景は確認していた。
そんな顔も出来るんじゃねぇかと思っただけだ。


「何があった」
「あいつは―――――」


しゃがみ込んだエースは固く握った拳を強く握り締め俯く。
いつものように背を預けなかった事、少しだけ集中が乱れていた事。
そんなエースに矢が放たれた事。 が大声でエース、そう叫んだ事。
エースの背に がぶつかり軽い衝撃を覚えた事。
そうして、 の背に矢が深々と刺さった事。
一瞬にして全身の血液が煮え滾り、それから先の事は余りよく覚えていない。
只、頭の中には後悔の念が渦巻き、酷く苦しくなった。


「大したタマだよぃ、あいつは」
「俺は、あいつが怖かったんだ」
「あぁ」
「全身でぶつかってくる、あいつの全部が怖かったが、
今はそんなあいつがいなくなっちまう事の方が、よっぽど怖ぇ」


の気持ちは知っていて、
それでも受け止める事が出来ないと気づかない振りをしていた。
余りに自由な が恐ろしかったからだ。
あの喧嘩の日、どうしていつもこうなってしまうと思い、
部屋へ戻りかければマルコが に口付けていた。
皆に可愛がられている の事、何れこんな展開になるなんて分かっていたし、
少なからずそうなれと思っていた癖に心は揺れる。
自分と一緒にいるより他の、それもマルコといるのならそちらの方がずっと幸せだ。
言い訳を続け逃げていた。


「意識を失う前に、あいつ言ったよ」
「…」
「あんたは悪くないって。これがあたしの役目だって」


だから傷つかないで。
は辛うじてそう呟き、意識を失った。居た堪れなくなった。
あれほど恐れていた の自由は容易く奪われるという事実。
彼女が役目と言うのならば、 の自由はエースにより左右される事になる。
知らなかった。 のそんな気持ちも、自身の気持ちもだ。そうして気づかされる。
何が自由だ。こんな俺の為に生きて、一体何が自由だ―――――


「今回ばかりは俺が引いてやるよぃ、エース」


けどそれも一回だけだ。
マルコはそう言い、紫煙を吐き出す。
そうして、まだ死んじゃいねぇんだと呟いた。









自由が、欲しかった。
ずっとそればかりを願い生きてきたようなものだ。
幼くして両親と死に別れ、引き取られた施設では虐待に近い処遇に晒され、逃げ出した。
どうしても自分自身の為に生きる事が出来ず、誰かを護る為に生きる、
それこそ自由を得る方法だと知った。エースと出会ってから。
この男の背を護る為に生きようと思い、それだけで十分だったはずなのに、
その先を求めてしまった。もう駄目だと、思った。
マリオネットのように操られるだけの人形になってしまう。
自由だと思っていたのも束の間、糸は絡まり上手く動けなくなるだろう。
それならばいっそ、エースを護り死ぬのも一つの手だ。
背に矢が突き刺さった瞬間の焼けるような痛み、
背を預けられなかった痛みとどちらが重いのか―――――


!!」
「エース…」


泣きながら目覚めれば目前にエースがいた。彼も泣いていた。
身体を動かそうとしても背が酷く痛むものだから諦める。
どうしてここにエースがいるの、だとかどうして泣いているのだとか。
聞きたい事は山ほどあるが聞く気にはなれず、
只エースの嗚咽ばかりを聞きながら、又、目を閉じた。








マルコとエースです。
マルコはいい男なんだけど、譲るんだろうなあ、こんな場合は。
そしてエースはマルコに敵わない・・・
2010/1/26

AnneDoll/水珠