君に届かぬ哀しみを君を忘れぬ幸福





歳を重ねる毎に無駄口を叩かなくなった。
頭がよくなったのかといえば、そういうわけではないのだろう。
何となく周囲を見渡し、どんな空気が流れているのかを察せば口を開く必要もなくなる。
現に、目前に置かれたルームキーに対しても同じだ。
注文をするより先にバーテンは鍵を置き、少しだけ考えた。


こんな事を繰り返し、一体何になるというのか。
お前は賢い生き方をしているとあの男は言うだろう。
そんなものを求めていたわけではないだろうと毎度思う。
駆け引き染みたやり取りを交わし、互いの利を求める。
担保は自身の身体だ。身を削り生きる。
少し遅れて差し出されたグラスを一気に煽り、
ルームキーを手に取った はバーを抜け、真っ直ぐにエレベーターへと向かった。


毛の長い絨毯が敷き詰められた廊下は足元が危うい。
細いヒールが毛に絡まり、何度も足を取られそうになる。
軽く舌打をしたまま視線を上げれば今まさにエレベーターが閉まろうとしていた。


「ちょっと、待って」


閉まる寸での所でドアに身を滑り込ませる。
待ってって言ったのに、どうして待たないのよ。
少しだけ苛立ち、視線を上げた瞬間だ。


「・・・スモーカー」
「・・・」


待たない男の正体が分かってしまった。
名を呟かれた彼は怪訝そうな眼差しでこちらを見下ろし、
数秒後にようやく気づいたらしい。
露骨に嫌そうな顔をする。
どうして、この男がここにいるのよ。


「随分、派手な格好だな」
「何、してるのよ」
「そりゃあ、お前もだろうが」


スモーカーはこちらを見ずにそう言う。
ねえ、何をしているの。こんな所で。
どうしてあたしを見ないの、ねえ、スモーカー。
投げたい言葉は幾らでもあるのに、一言も投げる事が出来なかった は、
まだ階数の指定をしていなかった事に気づく。
僅かに震える指先でボタンを押せば、
又沈黙が続きエレベーターの音ばかりが響き渡っていた。









明かりの消えたこの部屋は月明かりに照らされている。
ドフラミンゴはだらしない姿勢でベッドに寝転がり、恐らくこちらを見ているのだろう。
気づかない振りをしたままシャワーへと向かった。
ドフラミンゴとこういう関係になってから、随分な時間が経過した。
俺とお前で需要と供給は完成すると笑う彼に抗う術は持たず、
今日も相変わらずな戯れを行ってしまった。
スモーカーの顔を思い出しながらだ。最悪だと思った。


「・・・おい、
「あたしに近づくんなら、気配を消さないで」
「うるせぇ女だぜ」


こんなタイミングで顔を合わせる事になるとは想像もしておらず、
エレベーターから逃げるように転がり出た。
あの頃と変わってしまった を見て、
スモーカーが何をどう思ったのかは分からない。
昔から変わっていない癖のある香水、それに混じる葉巻の香り。
全てが五感を酷く刺激し、何故だか涙が出そうになった。


「何?あんたもシャワー、浴びるの?」
「・・・まぁな」
「いつもなら寝てる癖に」
「なぁ、


他に男でも出来たのかと聞いたドフラミンゴは笑っていただろうか。分からない。
只、心が見透かされたようで一瞬酷く動揺したが何の事よと笑った。
頭の中にはスモーカーの姿が繰り返し再生されている。
ドアが閉まりきる前の彼を目に焼き付けたかったが、振り返る事はしなかった。
追いかけてしまいそうだったからだ。


「どこの男を思い浮かべてんだかな」
「何よ、それ」
「手前はちっとも、この俺を見ちゃいねぇ」


まあ、別に構いやしねぇがと呟き、
背後から を抱き締めるドフラミンゴの囁く愛は歪んでいるのだし、
それを愛と呼んでしまえば 自身、随分楽になる。
首筋に吸い付く感触を嫌がりながらも、
又同じエレベーターに乗る確立はどれ位なのかと考えていれば、
水滴のついたタイルに身体ごと押し付けられ、息さえ奪われる。
他の男の事を考えながら寝る女をドフラミンゴは許すし、
こんな真似をしている女をスモーカーは許さない。決してだ。
あたしは汚れているのかしらと柄にもない疑問を抱けば、
口内を侵しているドフラミンゴが口元にだけ、微かな笑みを浮かべた。









スモーカーとドフラミンゴ。
謎の共演・・・。
2010/2/9

AnneDoll/水珠