みにくい蝶





ポートガスの処刑の日程が落ちてきたのは、一時間前の事だった。
まだ兵士達には知らされておらず、
まぁが知ったのも単なる偶然の最中だったのだから、
運命のようなものを恨む他ない。


クザンに呼ばれ、彼がランチを取っているカフェへ出向けば、
まるで日常会話のように話された。
こちらが動揺するのか伺っていたのだろうか。
分からないが、確かに動揺はした。


ここのランチは上手いんだと言うクザンに促され、
うっかり席についてしまったは、レモンの浮いた水を飲む。
店員の女の子に愛想よくオーダーを通すクザンが
何を狙っているのか、それを考えながらだ。


「多分、白ひげ海賊団は来るね」
「でしょうね」
「あんた、大丈夫なの?」
「大丈夫も何もないでしょう」
「一時的には、仲間だったのにね」
「…何が言いたいんです?」


この男は知っているのだ。
心が揺れた事、今でも揺れている事を。
湯気を立てるグリーンカレーの味一つ分からず、
皿を空にする為にスプーンを動かす。


もう少し美味そうに喰いなよと、
詰まらない事ばかりを話しかけてくるクザンに相槌を打つ事さえ適わない。
視線を上げればこの男がこちらを見ているようで、節目がちに席を外した。














が白ひげ海賊団にスパイとして潜伏したのは、
二年ほど前の事になる。
素性がばれれば命はないと何度も教え込まれ、完璧に紛れた。
誰一人疑う者はおらず、すっかり馴染んだ辺りに作戦終了の一報が届く。
心を奪われない為にだと、そう思った。


決して交じり合わない海軍と海賊、
この二つの中に放り込まれてしまったは、
すっかり目的を見失ってしまった。


ここまで大きくなってしまった彼らは、
様々な島を守り、海を守り仲間を守り生きている。
夢を抱き生きている。
それでも人々は海賊を恐れ、又他の海賊は人々から全てを強奪する。


分からなくなっただけだ。何が正しいのか、何が間違っているのか。
どちらにも立つ事の出来ない自分自身が間違っているのだと知っていた。


一度、海賊同士の諍いでが怪我を負った事がある。
腹の肉を抉り、大層な血液を吐き出した身体は冷え、
このまま死ぬのかと思った。
それでも船医達は手厚い治療を施し、
クルー達は入れ替わり立ち代り、様子を伺いに来た。
ああ、あたしはこの人たち皆を裏切っているのだと思え、
そのまま死んでしまいたかったと記憶している。


「よぉ、裏切り者」
「―――――ドフラミンゴ」
「いよいよらしいじゃねぇか」
「急いでるのよ」
「そう連れねぇ事を言うんじゃねぇよ、


七武海も召集されているという事は、
やはりクザンの言葉は本当だったのだ。
お喋りなこの男は、の事をはっきりと裏切り者と称し、
お前の功績は大したものだと褒め称える。
お前の顔を知っていてよかったと告げる。


正義を求め、正義を信じ自らが海軍へ赴いたはずだ。
これが正義か。こんなものが正義なのか。
盲目に信じきれるほど強くはなく、
心が揺れ動いているからこそドフラミンゴもクザンもに近づく。
互いの思惑がまったく別のものだったとしてもだ。


まぁ、お前らしく頑張れよ
ドフラミンゴは最後にそう笑った。














酷い頭痛に苛まれ、外の空気を吸いに出たは、
海の見渡せる場所に座り込んでいた。
目前に広がる海原は穏やかで、キラキラと光を反射している。
兵士達に一報が伝わるのは明日か明後日か。
何れにしても、誰とも顔を合わせたくなく、ここに一人でいようと思った。


海軍内部でのの評価は高い。
あの悪名高い白ひげ海賊団に潜入し、
作戦を成功させた唯一の人間として二階級特進もし、名前も売れた。


「…おい、どうした」
「スモーカー…」


腹部に残された僅かな傷が痛むような気がしただけだ。
そんなわけはないのに。
あの夜、消毒液の匂いを嗅ぎながら
真新しいガーゼに染みゆく血液を見つめた。
命を助けた相手から、命を奪われれば彼らはどうするのだろうか。
恨むだろう、憎むだろう。


お前は仲間だから。
そんな言葉を受け入れる事は出来ず、小さく笑うだけだった。
息が出来なくなるかと思えたから。


「聞いた?」
「あぁ」


彼らとの思い出は消える事無く、まだこの頭の中にある。
きっと死ぬまで色褪せもせず、ここにある。
本当は今すぐにでも彼らの元に戻りたい。
心の底ではそう思っている。


何事も起きない、普遍なき時代に戻りたい。
だけれど、それはもう無理なのだ。
こんな両腕ではどうする事も出来ない。それに、


「お前はここにいろ」
「…」
「まだ、気持ちの整理がついてねぇだけだ。お前は間違っちゃいねぇ。正義がどうのだとか、老人達はお題目を唱えたがるが、そんなもんは一概に言えねぇんだよ。うんざりしただとか、嫌になっただとか、そんな感情に振り回されるんじゃねぇ。お前の正義はここにある、海軍本部にじゃねぇ、ここに」
「あたしにはないわ、そんなもの、とっくにない」


身を縮め嗚咽を漏らすを哀れな女だと思った。
共に暮らせば情はうつる。
あの時、新しい任務を任されたと告げたを止める事さえ出来ず、
今こうやって泣いているの苦しみを癒す事も出来ない。


だから馬鹿みたいに抱き締めた。
何がどうなると思っているわけではない。
この腕は、とっくに心、奪われている彼女を必死に引きとめるだけだ。




海軍視点での話が増えているのは、
まあ私の中でスモーカー祭が絶賛開催中だからです。
しかし、暗い話だぜ…。暗いぜ…。
そしてこの話の続きがあるんだぜ…(当然ながら暗い)
2010/6/25

蝉丸/水珠