耳、口、首、胸、指、








あんたはもう、こんな所に来ちゃ駄目よと彼女はそう言った。
無理に大人びた口調で、それなのに幼い面影で。
馬鹿野郎がとスモーカーが幾ら叫んだとしても決して彼女には届かない。
無力さを痛感する瞬間だ。


幼い頃から知っていたはずの
見慣れない横顔を晒したまま今、まさに消えようとしている。
スモーカーを、全てを守る為に―――――


!!」


確か、あれは厚い雲が空全体を覆い、
何者の光をも消し去っていた日だ。
まるでドナドナのように連れ去られるを誰もが悲しみながら、
それなのに目を伏せ、口を閉ざす。
生贄を哀れむ感情だ。きっと、それに似ている。


違わず幼いスモーカーを取り押さえた大人たちを睨み付け、
短い腕を必死に彼女へ伸ばした。
毅然とした横顔の彼女は、
車輪が動き出す寸前まで微動だにしなかったが、
青ざめた頬を涙が伝った瞬間を見逃せなかっただけだ。焼きついた。
あんなに美しい涙は見た事がなかったし、あんなに悲しい涙も見た事がない。














エンジン音だけが静かに響く車内は無音に近い。
先週から何度、この状況に陥ったのだろうか。
流れるライトが線になり、一刻も早く目的地まで辿り着きたいと願う。
あの時と同じ横顔をミラー越しに確認出来るが、
彼女自身はあの時と随分変わってしまったようだ。
少しだけ苛立ちが垣間見え、下手に触りたくないが為に口を閉ざす。


あの時、生贄として連れ去られた彼女は政府の影に隠れ生き延び、
こうやって顔を合わせる事となった。
要人の護衛。
そんな仕事は御免だと言いかけたが、資料に目を落とし気持ちも変わる。
あの時、手の届かなかった彼女との再会。誰もが知らない再会だ。
ハンドルを握る手に力が入り、思わずスピードを出し過ぎる。
いけない、アクセルを緩めた。


「…いつまで黙ってるつもりなの」
「…」
「あんた、あたしを処分するように言われてるんでしょう」


無言の理由は恨みかと思っていたが、
どうやらそれ以上に根深いものらしい。
お前は、どこまで知ってやがる。


「…あんたは、重要参考人だ。色んな事件に関与してる」
「そうね、沢山人を殺してるわね。あんた達と同じよね」
「けど、証拠は何一つねェ。」
「あんた達が、やらせたんでしょう…」
「お偉方の機嫌を損ねたな」


がこの車に乗り込み、初めて顔をこちらに向けた。
そんな顔をするんじゃねェよ、
お前の動機はよく知ってる、俺はよく知ってる。
誰よりも慈悲深いお前の心は、この俺が誰よりも。


「あん、た…」
「ようやく気づきやがった」


笑った。


「何?どういう事…」
「少し、付き合えよ」


送り届ける途中で事故に遭い、は死ぬ予定だ。
スモーカー自身も強い打ち身やムチ打ちくらいは覚悟の上で、
シートベルトの着用をしていなかった彼女は即死―――――
軍の指令はこちらの事情なんて一切汲まない。
知り合いだという情報を知られなかった奇跡だけは信じた。
助手席に沈んだ彼女は、打って変わって小さく縮こまり、
纏めていたはずの髪をかきあげている。


「やめてよ、こんな真似。やめて」
「久しぶりだな、
「時間なんて稼げない、あんたも全てを失くす事になるわよ」
「おいおい、今も昔も、失くすものなんざ持ち合わせちゃいねェぜ」
「早く降ろして。そうじゃなきゃ、踏み込んでよ」
「御免だ」
「何度もあたしを殺せばいい。お決まりの展開でしょう?」
「気が進まねェな」


『検証25』渡された資料にはそう記載されていた。
同じ事故が25回目になるという事だ。
がロックを空け、ドアに手をかけた。ロックをかけ直す。
アクセルを踏み込み、スピードを上げた。


はこうやって殺され、又生き返る。
何度も何度も繰り返されている。
生贄という名の容疑者が必要な時に使われる簡単な方法だ。


「ねぇ、スモーカー」
「何だ」
「怖い?」
「…いや」


俺は煙だからな。
口に出さず飲み込む。


「怖ェか、お前は」
「怖いわ。何度も何度も同じ目に遭ってるけど、いつだって凄く怖い」
「だろうな」
「ぶつかる瞬間も怖いけど、それよりも」


目の前が光に埋められ、ハンドルから両手を離した。
なぁ、
俺にも一つだけ、嫌に怖ェ瞬間があるんだぜ。
身体が衝撃を交わす。隣を見る事はまだ出来ない。
終わった後の、お前を見る、それが何より怖ェのさ、俺は。


大破した車の外に投げ出された彼女へ近づけば、
何よりも恐ろしいものがぼんやりと見え出すもので、
まずはこれを耐えなければと思う。


が恐れていたのは目覚めた瞬間だ。
又、死ぬ事が出来なかったと認識する瞬間。
又、死ななければならないと絶望を抱く瞬間。


それなのに二度と生き返らない事ばかりを恐れる自身が赦せず、
絶望を終わらせる事が出来ない自身が赦せない。
早く、こんな茶番は終わらせなければならないのだ。
だからまだ、正義に近づけないでいる。




無駄に長いスモーカー(毎度)
こう、事故とか絡むので一応注意表記。
本当はパラレルにしようと思ったんですが、
どの道設定が余りにファンタジーだと思い断念…。
妖精が湧いてるのは私の頭の中ですが。

2010/8/25

蝉丸/水珠