指先の体温、真実の所在










やはり一時的なものだったらしい。
時間にして、ものの20〜30分というところか。
あの豪雨が嘘だったかのように晴れ渡った空を見上げる。


穴倉の中ではあれ以降、特に会話はなかった。
尾形は口を開かないし、そもそも雨の音が大きすぎて、
こんなに近い場所にいる相手の声も碌々聞こえやしなかった。


尾形の腕の下で雨を避けていたは、
得も言われぬ奇妙な感覚に襲われていたわけで、
雨が上がり穴倉から抜け出した後も、
この胸のざわめきはまるで治まらない。


鼓動が脈打つような、酷く顔が火照るような感覚。
早く下りるぞと告げ、の前を歩きだした尾形が酷く輝いて見え、
それ以外の風景が一切の色を失くした。
何事か声をかけたいが声が出ない。


獣道をザクザクと進んでいく尾形にどうにかついて行きたいが、
中々、足が進まず、おかしいと思い足元を見る。
すっかり忘れていたが鼻緒が切れており、酷く歩き辛い。


そういえば崖に落ちかける前に切れたのだと思い出した。
思い出し、しゃがみ込んだ瞬間、影が落ちる。
顔を上げた。



「何をして―――――」
「尾形さま」
「鼻緒が切れたのか」
「あ」
「そこに座ってろ」



お前を背負って下りた方が早いが、そうも出来ないからな。
そう言いしゃがみ込み、手ぬぐいを裂き鼻緒を結び直す。


ものの数秒で処置は終わり、何でもない様子で又、歩き出した。
やはり特に会話はなかった。











■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■












宴会場の襖が僅かばかり開き、
その隙間から母上の顔が覗いたもので、
驚いた音之進がこっそりと席を外す。
相当に酒が入っている為、誰もその事に気づかなかった。


廊下に出ると火照った身体が一気に冷え、酔いが足元から醒める。
宴会の最中ではまったく気づかなかったのだが、
どうやら激しい雨が降っているようだ。


母上にどうしたのかと聞けば、の姿が見えないと言う。
いつもの事で、道場にでもいるのではないかと返せば、
そこにもいないからお前に聞きに来たのだと言う。
確かにには普段からそういう気は多分にある。
年を取り多少落ち着いたかと思ったが、やはりそんな事はなかったのだ。


それにしたって、毎日毎日顔を合わせているはずなのに、
何故この人たちはという人間をこうも見誤れるのだろうか。
屋敷でもなく道場でもないとなると、恐らく裏山だ。
珍しく監視の目が緩くなったこの隙を狙い、登ったに違いない。


しかし、この雨の様子を見る限り多少心配ではある。
このまま母上を野放しにし問題が大きくなるのも面倒だ。



「おい、月島」
「はい」
「ちょっと、付き合ってくれ」
「はい」



玄関で忠犬の如く待ち続けていた月島に声をかけ、
一先ず道場へむかった。
酷い雨の中、駆け足で道場まで向かう。


自分が家を出てからというもの、この場所を使うのは以外いない。
雨に打たれながらどうにか辿り着けども、の姿はない。
月島は何も聞かず付いて来る。


道場内を見渡し、こちらがため息を吐き出せば、
見計らったように口を開いた。



「じきに止みますよ」
「!」
「通り雨だ」



月島の言う通り、数分で雨は止んだ。
あれだけの勢いで降っていたにも関わらずだ。


しかし、こうなっては母上がいつまで大人しく待つかという、
時間との戦いになってしまう。
山に入る姿を見られるのも面倒だ。


この月島にどこまで説明をするのかという話にもなる―――――



「音之進?」
「あっ、姉上!!」
「…尾形?」



酷く薄汚れたがひょっこりと道場に姿を見せた。
袴の裾といわず汚れている。
すわ何が起こったかと思いたくもなるが、恐らく山で転んだのだ。


こんな姿を母上達に見られれば事だ。
今は只でさえ縁談の最中なのだ。



「軽率です、姉上」
「ごめんなさい、これは」
「まず着替えないと」



母上が探しています。



「おい、尾形。お前」
「…」
「私を助けてくれたのです」
「!」
「大方、崖からでも落ちかけたのだ。煩わせたな、礼を言うぞ」
「…」



尾形は終始無言であり、すぐに道場を後にした。
月島もそれに続く。


母上が嫌がる為、道場で常に着替えているらしく、
汚れた袴を脱ぎ着物に着替える。
裏山に入った事は知れなかった。











■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■











あの穴倉での出来事が脳裏から離れず、まるで眠れない夜を迎えている。
命を助けられ、雨から助けられ、あの穴倉で共に雨を避けた。


言葉少ないあの男の横顔。
切れた鼻緒を結び直した指先。
全てが鮮明に思い出され、その度に胸が躍る。


この気持ちが何かを知らず、何と呼ぶのかも分からない。
只、口に出す事は不思議と憚られる。


寝ても覚めても同じ事ばかりを考え、
視界の隅に尾形がいないか捜す有様だ。


縁談の方は何の問題もなく着々と話が進んでいる。
勇作は優しい男であり、大変真面目な男だ。
母上は兎角、彼の事を気に入っており、明日にでも嫁がせるつもりだ。


そう。
今、自身は縁談中であり、
その縁談は上手く纏まりかけている―――――


やはりまるで眠れず、唐突に身を起こす。
そうして人知れず、布団から抜け出した。






普通に考えて、この時の音之進は学生?で
月島との接点はほぼないんじゃないのと思うのですが
音之進の親父と鶴見さんが懇意→鶴見さんに付いている
→その関係で音之進と知り合いです
という無理矢理な展開にしてます


2018/01/22


NEO HIMEISM