楽園追放












別に、何も貴方を憎んでいるわけではないのだと は言った。
あの頃、右も左も分からなかった娘とは思えない表情だ。


一時的に身を寄せた宿は相変わらずで、
尾形自身先の大戦もあり、ここへ立ち寄るのは暫く振りだ。


結局、親父殿はここへ一度として顔を出す事はなかった。
の事は公然の秘密と化し、存在自体がタブーと化した。
そうなるであろう事は分かっていた。
危ない橋は渡らない男だ。


それを知った瞬間に に対する興味は失せ、
ここへ足を向けなくなった。


すっかりおかしくなってしまった
どうなるかは想像に難くなかったが、特に心も痛まない。
目的も果たせず、使いどころもなくなった実の妹など不要だ。


あの様子ではいつまでも はこちらを待っているだろう。
若しくはあの宿で既に憤死したか。
とりあえずこちらに火の粉は飛ばないように、支払は先に済ませている。


あの地獄と化した戦地から戻り、事を済ませた後、
ようやくこちらへ足を向けた。
全てに始末をつける為に。


宿の主人は尾形の顔を見るなり、ご苦労様でしたと労いの言葉をかける。
死地から生還した兵隊に国民は羨望の眼差しを向ける。
そこで何が行われていたかは知らずに。
薄く笑い部屋へ向かう。


一番奥の部屋だ。
主人が何も言わなかったという事は、生きてはいるか。


この宿は訳アリの人間しか利用しない。
妾を囲ったり、手を出した女中を置いたりと
ロクでもない利用者しか存在しない。


置き座られた娘たちの処分をどうしているのかは知らないが、
あの人の良さそうな主人たちが始末をしているはずだ。
それがどういう始末の付け方かは分からない。


置屋に売るのか、奉公として出すのか、
若しくは殺すのか―――――



「百之助さま」
「!」
「そろそろいらっしゃる頃合いかと思っておりました」



あの薄暗く爛れた室内が嘘のように、そこは整然としていた。
あの頃、衣類と寝具で雑然としていた床は掃除が行き届き、
閉め切られていた窓も開き、日の光が差し込んでいる。


乱れ髪をそのままに胸元さえ肌蹴ていた は、
すっかりと以前の可憐な姿に戻っており酷く驚いた。


楚々と部屋を出て行き、茶の用意をし戻って来る。
話を聞けば、この宿の手伝いをしているらしい。
世間知らずのお嬢様が大変な変わりようだ。


他の部屋に置かれる様々な事情の有る娘たちの
泣き言を聞いて回り、傷の舐め合いもしているらしい。
何のつもりだと、こちらは思うのだが。



「…随分な変わりようだな、
「先の大戦、大変ご苦労様でした」
「…」
「私を殺しにいらっしゃったの」



御兄様。



「…」



笑みを讃えたままそう言う を見やり、髪をかき上げる。
この女、何を企んでいやがる。


出された茶に手を出さないのは、
毒でも盛られていたら堪らないからだ。
この女には少なくとも半分程度、同じ血が流れている。



「何の話だ? …」
「誤解なさらないで、御兄様。別に貴方を憎んでいるだとか、
 恨んでいるだとか。そういった事ではないの」



むしろ感謝しているのよと は言う。



「こいつは驚いたな、どこでそう覚醒した」
「御兄様がいらっしゃらなくなって、効果が切れたのね」
「…」
「御兄様、私に薬を盛ってらしたでしょう」



血は争えないというところか。
この娘はその実、酷く賢しかったらしい。


正気を取り戻しすぐに自身の状況把握に努めたのだ。
恵まれた生家にはもう戻れない。
実の兄と寝た女だ。
妊娠していないだけマシという状況下、
二度と来ない男を待つよりも他に生きていく術を求めた。


白いバラの元で逢瀬を重ねる内、
この男の存在がどんどんと大きくなり、頭の中は彼一色となった。
それが永遠の愛、そんなものの証だと思っていたが、
薬の影響だったらしい。


人の思考を曇らせ、理性を殺す。
前後不覚の状況下、最も強い刺激に平伏する。
尾形との触れ合いだけがこの身に残り、もう頭は働かなくなったのだ。


この宿で破瓜を迎えた時もその薬は効いており、すぐに虜になった。
朝も昼も夜も、四六時中猿の様に身を貪り、
尾形以外の存在はなくなった。


はしたなく、だらしなく男を求め、
それが実の兄だという事さえ歯止めにはならない。
倫理はなく、理性もない。


只そこには獣がいた。
恐ろしい話だ。



「とっくに死んでいると思ったよ、お前は」
「そうでしょうね」
「俺を恨むか」
「…いいえ」
「憎むか」
「まさか」



お慕いしております。



「…花沢中将は自害したぜ」
「!」
「お前の兄である、花沢少尉も戦死した」



お前は知らなかっただろうが。
尾形は続ける。



「お前を迎えに来る人間はいない。俺以外はもう」
「…」
「お前は、天涯孤独だ」



俺と同じく。
それは告げないが。



「私を殺して、全て終わるのかしら」
「…」
「それはもう構わないのです、私は」



こんな私はもう生きていても仕方がないのですから。
贖罪は出来ず、父上にも母上にも、兄様にも顔向けが出来ない。
貴方を愛した私は赦されないのだから。
全て貴方の思い通りになりましたね。


こちらの腹を淀みなく口にする が邪魔で、とても気に障る。
道理のいかない血の繋がりという憎しみがいつまでも消えない。


目前で殺してくれと願う女の希望を叶える気は、
とても。更々、ない。


置かれた茶を倒し、 の腕を掴む。
強くこちらへ引き寄せた。
両腕で強く抱き締め、胸元に指先を滑らせる。
反射的に がその手を掴むが意味をなさない。



「…もう、お前には俺しかいないだろう」
「後生です、生かさないで」
「駄目だ」
「御兄様…」



こうしてお前は死ぬまで苦しめという事か。
止められない男の指は相も変わらずこの身を勝手に弄る。
持ち出された心は未だ戻らず、死ぬまで蹂躙され続けるのだ。







腹違いの妹話ラストです
割と最低ですけどいかがでしょうか
これで、主(妹)が尾形を待っていた場合、
彼は彼女を殺したはずですし、
今回は殺してくれと乞われた為に生かした
そういう話です

2018/1/22

NEO HIMEISM