世界の果てで待っていて










所詮、遊びだと高を括っていたのは確かにこちらの方で、
まさかこんな馬鹿な真似を仕出かすだなんて、誰も予想しなかったはずだ。
少なくとも自分自身はそうで、心がいう事を聞かないだなんて、
そんな状況は有り得ないのだと思っていた。


毎度の如く行われる逢瀬は一切の進捗を見せず、
まるで最初から何事もなかったかのような匂いをまき散らす。
こちらが手を引けば即座に終わる。


は何事もないように日々に戻り、鯉登の事など忘れてしまうはずだ。
こちらから忘れるななんて言うつもりはない。
それは余りにもダサいし、出来ない。
心を曝け出す程、こちらも間抜けではない。はずだったが。


駆け引きを仕向けたのは確かにこちら側だ。
今更、弁解するつもりもない。
只、心が、何故だか急にそれを止めた。


お前は俺の事が好きか。
だなんてまるで真摯な言葉を壁に投げつけた。
情事後の、あのいつもの室内でだ。


服を着ながら、至極自然に口から零れたわけで、
の表情は見えない。返事もなかった。


だから振り返り、の顔を見て、
もう一度、同じ言葉を今度は壁でなくに投げる。
何か、言葉を飲み込んだような、
僅かに強張った彼女の表情がやけに扇情的で思わず唾を飲んだ。


お前、そういう顔もするのか。
単にそれだ。
完璧な彼女の人間らしさ。歪に惹かれる。
俺だけを愛せ。
そう言葉にし、に詰め寄る。


彼女にとって、この一室の関係は
半ば無理矢理犯されているようなもので、
少なくとも望んではいないはずだ。
愛する男の為にその身を捧ぐ。
そういった類の自己犠牲だと思っていたが。


言葉を吐き出せないを壁際へ追い詰め、目線を合わせ問い詰める。
顔を逸らす事を許さず、顎を掴み至近距離で見つめる。


あの男は―――――、


一瞬だけ躊躇う。柄にもない。


お前の旦那はお前を愛しちゃいないだろ。
核心を突く言葉を吐き出せば、
何故だかこちらの心が締め付けられ呼吸が苦しくなった。













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恐らく彼は、こうして自身の妻が他の男に抱かれている事に
気づいてもいないし、さして興味もないはずだ。


もうこの半年は家に戻っておらず、
時折、生存確認のように電話連絡が入る程度で、所在地さえわからない。


最初の歪はあのスキャンダル。
いや、もっと昔から気配はあったのだ。
だけれど上手く隠していた。


彼の女癖の悪さに気づいたのは結婚してすぐの事で、
見知らぬ女からの着信が続いた。
本人に問い詰めるもはぐらかされ、醜聞の悪さは政治家生命を脅かす。
黙した。


片手間に愛される不幸に慣れた辺り、
この鯉登からのまるで脅しのような誘いを受ける。
酷く狡いのはこちらの方だ。
脅された体で逢瀬を重ねた。


途中、彼の執着心なのか、単なるお遊びなのかは知れないが、
服を汚されるというアクシデントがありはしたが、
当然の如く気づかれない。


逢瀬からの帰り道が何より孤独で、誰もない自宅は果て無く冷えゆく。
必死に隠してはいたものの、
知りたくもない事実を得意顔で知らせる輩はどこにでも存在する。
議員秘書の女の家に入り浸っているという話を耳にした。


彼にとって自分という存在が何なのか。
どういった利益があるのか。
政治家になる為の足掛かりだったのか。


愛はきっと最初からなくて、どうやら情もない。
では何が残る。
顔を合わせ離婚される事を恐れているのか、
まるで家に寄り付かなくなった。


だから、今、目前で愛を求める青年は何も知らない。
まるで酒浸りなこちらの日常も、飢え、乾き、
もう戻れないところまで来ている心情もだ。
冷静な判断が出来ない。


この身を抱くのはもうお前しかいないというのに、
この身体は一向に不自由だ。



「…!」
「ごめんなさい」
「泣くなよ」
「違うのよ」



そうではないの。
が呟く。



「こんなのは、駄目よ。音之進。駄目、よくないわ」
「そんな事は最初から」
「愛してるかどうかなんて、そんな事はもう」



それだけは口に出来ないのだと、この思いは鯉登に届くだろうか。
こちらは永久に不動なれど、周囲は少しの異変も見過ごさない。


この逢瀬があの男に知れるのは時間の問題だ。
露呈した場合、彼は自分の仕出かした全てを闇に葬り、
こちらを責め立てるだろう。
絶好の機会が訪れたと。


自分という存在は鯉登のウィークポイントに成り下がった。
いつか確実に来るであろうその日に怯え、
果て無く続く無味の日々に疲弊する。


鯉登の思いが日に日に膨れ上がる様を目の当たりにし、
この爛れた願いがどこぞの神にでも通じたのかと思った。
選ばれるならシヴァか。


身動きが取れず、この泥濘に溺れていくのであれば、
それはそれで幸せだ。決められた期間だけの話なら。


だけれどダメだ。
そんな、僅かな時間では到底、満足出来ない。
耐えられない。身の程も、知らずに。
この部屋で溶けて死にたいだなんて、不快な囁きが絶え間ない。
自分自身の声で。



「そんな事は言ってはならないわ」
「そんなに、泣いているのにか」
「これはここだけ、この部屋だけの感傷。忘れて」



今日、あの冷えた部屋に帰っても事は起こらない。わからない。
あの男側に何かしらの動きがあれば、刃はすぐにでも剥かれる。


主導権を握っていると思っているのは皆、同じで、
それでも心がないだけあの男の方が上手のはずだ。


あれは、自分の目的の為に全てを使う。
身を満たすのは手に届く範囲にいる若い娘。
己の妻さえも使い捨ての道具だ。


今日、この部屋に来る前。
地下駐車場からエレベーターへ向かう途中、月島に会った。


いい加減、坊ちゃんを利用するのはやめろ。
夫婦間のいざこざは夫婦間で収めろ、巻き込むな。


そうとも言われた。


鯉登の周囲には、こうして鯉登を守る鉄壁のガードが山ほど存在する。
彼が突撃したとしても、易々と崩れるような代物ではない。その牙城は。
では心はどうだ。


共に茨の道を進みかねないこの男は知らない。
どれほどの泥濘が待ち構えているのかを。
心はいきものだ。そんな事さえ、知る由もない。
だから弄ばれるのだ。



「お前が望むなら、俺は」
「…」



いつしか掴まれていた顎は解放され、
こちらをきつく抱き締める鯉登越しに件の夜景を眺めている。
この冷えた部屋に似つかわしくない熱量だ。


若い肌に触れる間、この心によくない悪いものが渦巻く。
眼下に広がる夜景がいつもより輝いていない理由と同じで、
暗雲立ち込める。


これまで決して口にする事がなかった、
酷く感傷的な吐露を続ける鯉登は正気でない。
きっと、恐らくは。


だけれど、この部屋を出て少しの時間が経てば忘れる。
一過性の病だ。
自分だけを愛してくれだなんて、
余りに都合のいい戯言は決して口に出来ない。
耳障りの言い言葉に脳が冒され溶けてしまいそうだ。


この、望まれない関係でのみ成立する、
共犯という背徳が心を壊す事は知っている。


だけれど大丈夫、きっとすぐに救済処置が入り心は保護されるはずだ。
こちらを抱き締める鯉登の腕は熱く熱く、そうして強い。


骨が軋みそうな息苦しさを覚えながら、
気づけば、私だけを愛してくれと嘯いていた。




KO坊ちゃん続編です
あ、これ続いてたの?というね。。。
この途中から力関係が逆転するパターン
主人公の旦那が中々なロクデナシなので
むしろそいつを書こうかと思ったんですけど
今後新キャラなどが出て来たら検討します
ここ最近の私事情でこうも生臭い話に



2018/02/12


NEO HIMEISM