忘れてしまった愛ならば
これが間違いだという事は最初から知れていて、
酷く性質のよくない自分という生き物はそれを良しとしただけだ。
別に最初から誰か被害者がいたわけもないし、こちらも加害者のつもりはない。
どちらかといえば恵まれた人間だ。
妬まれる事はあれど、その逆はない。
選ばれた人生に対し何の不満もなくこれまで生きてきた。
産まれた家が俗にいう名家であり、大変な資産家だっただけなのだが、
それだけでこの人生というものは大変生きやすい。
何不自由のない暮らしの中、自分で言うのも何だが奔放に成長したと思う。
数か月に一度、顔を見せる実父に知られないよう細心の注意を払い遊び回る毎日だ。
彼は社会的に地位のある男で、何よりもそれらを大事にする。
事、末っ子のがどこで何をしていようが気にもならない癖に
一族の名誉だけは何が何でも守ると言うのが彼のスタンスだ。
お陰様で唸る程ある資産の中から好きなだけ散在しても
文句を言われる事無く今に至る。
そう。だからだ。
だから思い違いをしていた。
「…尾形、あんた」
「そう怖い顔をするなよ、」
産まれた段階で父親の決めた相手に嫁ぐ事が決まっていた。
物心がついた段階でその旨は知らされていたし、特に異論はなかった。
これまで心底誰かを愛した事もなく、薄々気づいてはいたのだが、
どうやら自分という人間は自分以外の誰かを愛する事は出来ないようだ。
自分以上に愛おしい人間が存在しない。
だからどんな真似も出来た。
心を弄び出したのは中学二年の頃からで、
最初は家庭教師の大学生、次は外部講師の男。
こちらから手を伸ばせば必ず掴めた。
秘密の遊びはひっそりと続けられ、高校、大学とその数を増す。
初めて勇作と顔を合わせたのは高三の夏だった。
珍しく家に帰っていた父親に呼び止められ、そのまま料亭へ向かった。
特に会話のない社内には重苦しい空気が充満していたが、
こちらの感情になど何ら興味のない父親は淡々と言葉を紡ぐ。
曰く、これからお前の許嫁と顔合わせだと。
異論は許されない、話は我々が進めるので黙って座っていろ。
お前がどこで何をしているのかは知らんが、上手く立ち回れ。等。
実の父親とそんなにも生臭い話をするとは思わず流石に苦笑する。
そう言えばこの男も外に女を囲っていた。
その女達に対し四季ごとに挨拶に向かう母親の姿を思い出す。
それはそれで狂気に満ちている後姿だが口にはしない。
父親はその事を知っているのだろうか。
兎も角、車は料亭へ着き、顔合わせは恙なく終了した。
初めて顔を合わせた勇作は眉目秀麗な好青年で、
正直な所、文句のつけようがなかった。
結婚する相手としてはこれ以上ないというくらいの上玉だ。
全ての段取りは我々で執り行うと言う互いの父親たちは
それでない話に夢中になっていたし、
勇作は酷く耳障りのいい言葉を投げてくれる。
ここぞとばかりに猫を被り、勇作をロックオンした。
この男が欲しいと思ったからだ。
互いの連絡先を交換し、酷く健全な交際がスタート。
某有名大学に通っている勇作は留学を控えており、主なやり取りはメール。
前向きな内容に感心しつつも、これでは水を得た魚だ。
目の届くところに勇作はいない。
の悪癖は治まりようがなかった。
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その男と初めて出会ったのは、が大学に入学してすぐの事だった。
昔から馴染みのクラブで出会った男で、
すぐそこの路地でバーを経営していると言っていた。
話半分で聞いていたのだが、その男とはそれからも頻繁に顔を合わせる事になり、
気づけばクラブのトイレで一回、その次は男のバーで二回と
セックスの回数ばかりが増えて行き、いつの間にかそういう関係に陥っていたわけだ。
五回目のセックスの後にようやく自己紹介を交わす。
男は尾形と言った。
尾形はこの小さなバーを経営しており、も何となく入り浸るようになる。
付き合うだとか、そういう話は互いにしない。
只、身体だけを無駄に重ねた。
「何のつもりなの」
「そう怒るなよ」
「あんた」
「俺はな」
俺だけを愛してくれないのかと思っただけだぜ。
目前の尾形は気だるそうにそう言う。
伏し目がちに、こちらを見ずに。
嘘だという事だ。
「何言ってんのよ、そんな柄じゃないでしょ」
「酷ェな」
「何が目的なの」
だから最初からそんなつもりではなかったはずだ。
も尾形も、最初からそういうつもりだったはずだ。
少なくともこちらはそうだ。
セックスから始まったこんな関係に心はない。
クラブで拾った女をお持ち帰りする時点で真摯さとは程遠い。
来週、勇作が帰国する。
それに合わせ身辺整理を始めるべく、男関係を清算していた最中の出来事だ。
それは困るな。
尾形だけがそう言った。
お前の事が好きで好きで、もうどうにかなりそうだ。
いや、もうなってる。
このままじゃあ俺は何をするか分からん。困ったな。
スマホから流れる尾形の声は緩やかにこちらを脅す。
その足でバーへ出向きこの攻防だ。
こいつ、何を考えていやがる。
「目的も何も、何もないさ。俺はこれまで通り、何も変えないってだけで」
「あたしこういうの好きじゃなくってさ、もう無理なんだけど」
「聞いてるのかよ、。俺はそんな気ないって言ってるんだぜ」
「あんたこそ―――――」
「勇作さんはどう思うだろうな」
「!」
「許嫁がこんなアバズレだなんて知ったら」
その顔が見たくもあるんだと尾形は笑う。
流石に顔色の変わったは頻りに次の言葉を探すが考えが中々まとまらない。
この男、何をどこまで知っていやがる。
「どうした、。随分と顔色が悪いな」
「あんた」
「どういう事か分かっただろ」
もうお前は逃げられない。
「目的は何」
「ないよ、そんなのは」
「…」
「お前が考える事でもない」
お前は何も考えず、これまで同様俺に股を開いてりゃあいいんだ。
こっちはこっちで事を済ます。
お前はお前で上手く立ち回れ。
二度は言わないぜ。
上手く、立ち回れよ、。
尾形の指先がこちらに向かい、首を軽く絞めた。
音を立て唾液を飲み込む。
ここまできたんだ、お前だけは俺を愛してくれるよな。
耳側で囁く尾形の表情は読めない。
開店前の薄暗い店内には悪魔の囁きだけが響き渡る。
当然のように尾形の指はの胸元に滑り込んだ。
尾形と勇作です
勇作の許嫁に手を出す尾形
勇作が絡むと尾形はメンヘラ化するので
そういう感じの尾形の話です
前後編(前半は主人公視点)
2018/07/09
NEO HIMEISM