随分間抜けな女だと高杉は呟いたように思う。
あの、いつもの眼差しでだ。
刃先が届かない距離を保ちつつ様子を伺う。
隙が出来るとは考えていなかった。
この男の囁く睦言に浮かされたわけではない。
そんなに素直な性ではないはずだ。
幾度か褥を共にしたからといって、そう簡単に心を侵されはしない。
この男が抱く指先は優しかった。
攘夷派のこの男の動向を探れと依頼され、とある廓に身を寄せた。
攘夷派の人間が密談を行うとされている場所だ。
高杉に至るまでに幾人かの客を取り、泥濘の中のままごとを繰り返した。
これ自体は悪い夢だ。
これ自体、いや違う。
この人生が悪い夢なのだ。
だからきっと、脳が錯覚した。
「いいぜ、。お望み通り殺してやるよ」
「高杉…」
「晋助、じゃねェのか」
何もかもが芝居か。
「お互いさまでしょ」
「殺す前に聞きてェんだが…」
お前は何の為に生きてる。
高杉はそう言った。
そして速さ。
素早く間を詰め、懐に飛び込む。
降り注いだ刃を返す刀で防ぎ、
目と鼻の先に近づいた男の眼差しを射貫く。
深く薄暗い癖にひた向きな眼差し。
答えろと無言の圧力をかける。
「…何も」
「…」
「何もないわ」
「…そうかい」
そいつは地獄だな。
「そうかしら」
「これまでも、これからも。ずっと地獄の中か」
「…」
「似合いだな」
つばぜり合いを続けどうなる。
この腕は高杉の命を奪うのか、それとも。
これまで散々な人生を歩んできた。
寒村の貧しい家に生まれ、家畜のように過ごした。
物心がついた頃には奉公に出され、その家で凄惨な虐待を受ける。
片耳が聞こえなくなったのもその頃の事で、
雪降りしきる極寒の夜に凄まじい暴行を受け雪の中に捨てられた。
残念ながら死ぬ事は出来ず、
40度を超える高熱に見舞われ生死の境を彷徨った。
唯一の救いといえば、
目覚めた際の天井が知らないものだった事だろう。
命を救った男は、目覚めたに優しく囁いた。
もう何の心配もしなくていい。
おいしいごはんも食べさせてあげるからね。
早く身体をなおして、元気になるんだよ。
熱に浮かされたまま、どうにか顔の向きを変え外を見る。
雪景色の中に浮かぶ月は残酷なほど美しく、
この心の中の悍ましい感情を願いに変えてくれた。
この世の全てに復讐を。
生まれ堕ちた生にも、地にも、その全てに報いを―――――
「裏切れねェか、その男は」
「えぇ」
「お前を抱いちゃ、くれねェぜ」
「心に染みついてるの。どうやったって消せやしないわ」
「そうか」
そいつはさみしいなと高杉は囁き、の腹に一撃を見舞った。
壁に向かい吹き飛んだの視界、大輪の華が見える。
こちらに背を向け、去りゆく華が。
高杉はここに自分を置いていくのだと知っている。
彼について行けないのだから、それは仕方のない事だ。
置いて行くくらいならば殺してくれと願うのはおこがましいのか。
そんな情は持ち合わせないか、お前も、あの人も。
瓦礫の中でどうにか身を起こせば、ふわりと粉雪が舞い落ち、
高杉の足跡を隠していた。
何か久々の高杉ピン
不遇な主人公を書く事に
我ながら執拗さを感じています
2017/04/03
NEO HIMEISM
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